なりたい自分じゃなかった―朝井リョウ『武道館』

 発言、行動、そのすべてに全く矛盾がないように生きなければならない。いろいろ言われることはしょうがないのだからどんなことがあっても「スルー」しなければならない。
 歌とダンスだけに全力を注がなければならない。新しいフィールドへの挑戦は、どうせ無理なのだから、すべきではない。
 アイドルにお金を注いでいるファン以上に、幸せになってはならない。
 余計なことは考えずに、歌って踊っていれば、それでいい。
「それは、わたしのなりたい自分じゃなかった」
朝井リョウ『武道館』)

アイドルは神ではない。だが、偶像ではある。依り代でもある。ファンは夢をそこに託す。幻想を見る。希望を描く。

だが、しかし、アイドルは神ではない。人間である。そこに決定的な矛盾をはらんでいる。

朝井リョウが「武道館」で描いているのは、アイドルの裏側、人間としてのアイドルの面である。「武道館ライブ」を合言葉に活動している5人組の女性アイドルグループ「NEXT YOU」の各メンバーを描写することで、アイドルの持つ「光と影」を浮き彫りにしている。

ここではネタバレは避けるが、5人で武道館を目指すアイドル「NEXT YOU」は、激動に直面しながらも前に進んでいく。ユニットとして。ファンに問われるのは矛盾を受けいれられるかどうかということだろう。アイドルは神ではなく、アイドルのステージは神の王国ではなく、僕らの住むのはイデアの世界ではないのだから…

朝井リョウらしく、緻密な取材、冷静な観察、理知的な筆致を楽しむことができる。無いものねだりをすれば、アイドルを「推す」ときの熱狂や、「推される」ときの陶酔まで取り込んでいれば、さらにエキサイティングで、味わい深い作品になったのかもしれない。

もちろん、想定している読者の大多数はドルヲタ以外なのだろうから、醒めた視点でさえも、朝井リョウの計算のうちなんだろう。これはこれで「正解」だと思う。

ドルヲタによっては、ヒリヒリと感じる描写もある。僕にとっては、冒頭に引用した部分は、とても刺さった。

武道館

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