ジェーン・スー『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』

2003年、酒井順子は『負け犬の遠吠え』で「30代超・子供を持たない未婚女性」を「負け犬」と定義し、子供を持つ既婚女性と対比して、その生き様をポジティブに描いた。人によっては「ポジティブ」どころではなかったかもしれないが、僕にとっては旧来の価値観を転倒する主張だった。つまり「世間では負け犬とされるけど、こっちの生き方の方が幸せなんじゃないか」と。「負け犬」というオブラートで包んでさえなお鼻につきそうな自己弁護が必要だったのは、90年代までは「女性は30過ぎたら結婚して子供を産むべき」という社会的規範が強かったからではないか。

さて、10年代のいまジェーン・スーが放ったのは『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』である。長すぎて覚えにくい、あるいは「流行語大賞」にノミネートされるような大衆的なキャッチ―さには欠けるものの、抜群にセンスの良いタイトルだ。あの青波純にも「タイトルが最高です」と言わしめるくらいの。

本書で彼女が示しているのは何か。デフレのゼロ年代を経て、もはや、石をぶつけるような社会的規範など存在しなくなったに等しい。では、何が原因でプロポーズされないのか。彼女はリサーチする。「プロポーズされない理由」のサンプルを日本中から収集し、カテゴリ別に分類し、並べる。その結果、101になったという「理由」を順に示す。なんという整理術。なんという科学的態度。ちょっと抜粋してみる。

  • 彼が連れて行ってくれるレストランで、必ず空調や店員の態度にケチをつける。
  • 誕生日やクリスマスに、彼の好みを変えようとするプレゼントを贈ったことがある。
  • 車、ゲーム、スポーツなど男の領域に詳しすぎる。
  • アルマゲドン』を観て泣いている彼を、馬鹿にした。

やや乱暴に要約すれば、精神的も経済的にも自立していていて、かつそれを隠さないでいる女性は、男性の側からすると近寄りがたい存在になっているということだ。女性としての生き方に問題があるというわけではない。男性の意識に問題があるというわけではない。男性の心理を理解せずに振る舞ったことが、「未婚のプロ」になった原因であるということだ。

まあ、男性/女性という区分を取っ払って言えば、『アルマゲドン』を観て泣いている人に共感できないというのは僕としても心の底から理解できるけれども、それを口に出したり、態度で示したりしたら対人関係はおしまいだ。そんなことは分かっている。

では、本心を隠して「アルマゲドンで一緒に泣いてほしいなあ」という男性と連れ添うか、それとも「アルマゲドン観て泣いてるヤツがいてさー」ということで一緒に盛り上がれる女友達と一緒にいるか。どちらが幸せか。

もちろんどっちを選ぶかに正解などないので、あくまで自分がどちらを主体的に選び取るかというところに掛かっている。著者の言葉を借りていえば「どっちに転んでも、なんとかなりそうですね(p.225)」と。

この肩の力の抜け加減こそ、ジェーン・スーという人の強さであり、積み重ねた時間がもたらす境地だ。彼女は言う。「やっぱり、独身は麻薬(シングル・イズ・ドラッグ)!」と。既婚女性とか男性とか社会的とか、そういった誰かに対して拳を振り上げることを一切せずに、これだけ前向きなメッセージを出して共感を得ることができるのは、彼女ならではだろう。日本一のポジティブガール、ジェーン・スー! (あ、ガール呼ばわりはまずいか)

私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな (一般書)

私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな (一般書)