内面を抉られるミステリ―『ウツボラ』中村明日美子

いつかは『ウツボラ』について書かなくてはいけないと思っていた。中村明日美子のサイコサスペンス。全2巻。だが、なかなか書けずにいたのは、この作品が読者の内面を抉る性質を持っているからだろう。

ストーリーは以下の通り。

謎の死を遂げた美少女「藤乃朱」。入れ替わるように、「朱」の双子の妹と名乗る少女「桜」が、作家・溝呂木の前に現れるも、彼女の正体は一切不明。
二人の点をつなぐ作家・溝呂木は、盗作に手を染め深い闇に追い詰められていく。そして事件の謎を追う編集者と刑事たち。彼らの間を蠢く謎は深まるばかり――。顔のない死体とひとつの小説をめぐる、謎の物語。

それほどひねった設定のようには見えないかもしれない。だが、それはネタバレを回避しているからだ。表紙の少女の顔が醸し出しているそこはかとない気味の悪さは、こけおどしではない。謎が謎を呼ぶ展開。読み進めていくと頭の中には眩暈しか感じられない。死んだのは誰か。この物語の作者は誰か。私はいまどこに立っているのか。世界がぐるぐると回り始める。実に恐ろしい感覚を味わうことができる。

ストーリーの表面は、「桜」とは誰か、「朱」とはいったい何者だったのか、という謎を中心に進んでいく。彼女と逢瀬を重ねることで、主人公は、糸口をつかむどころか、ますます迷宮の奥に張り込んでいってしまうように見える。そして、読者の方も、主人公が迷い込んだ迷宮の奥で途方にくれるのだ。一体何が真実なのか、と。警察も登場するので、一定の解決が見られる、と言える、かもしれないが、真相は藪の中、かもしれない。

さて、ここで、改めて少女の顔を眺める。少女の射抜くような視線に目が釘付けになる。なんとも不気味だって? その通り。だが、もっと気をつけないといけないのは、彼女のまなざしの先に何があるのかというところだ。主人公の作家・溝呂木は、作家としても円熟期を迎えた中年男性。この少女の目は、彼の内面にある欲望や焦燥や不安といったものを見透かしているのではないだろうか。

彼女はその欲望が自分に向けられることを望んでいるのか。それとも彼を手玉に取ることで満足しているのか。あるいは、こうした行為そのものが、別の誰かへの歪んだ愛情の産物なのか。それともある種の純粋な狂気なのか―

いずれにしても、その本質は少女の黒い瞳の深遠の奥に隠れていて、溝呂木の目からは見ることができない。彼はひたすら少女に翻弄されるばかりだ。

そして振り返る。自分はこの溝呂木にどこか似ているところはないだろうかと。取り繕った外見に隠しているのは醜い内面ではないのか。つまり自分の顔とされているものはある種のマスクではないのか。自分の地位とされているものは何かの借り物ではないのか。その下にいる本当の自分とはいったい誰なのか、と。

内面にどんどん入りこんでいく作品。エフコミック掲載らしく描写にはアダルトな場面もあるが、露骨なエロではない。エロスとタナトスが隣り合わせであることを意識させられるような、という感じ。

『鉄道少女漫画』のような明るい中村明日美子も大好きだけれども、『ウツボラ』のようなとことんダークな作品も実にいい。

ウツボラ(1) (F×COMICS)

ウツボラ(1) (F×COMICS)

ウツボラ(2)(完) (エフコミック) (エフコミックス)

ウツボラ(2)(完) (エフコミック) (エフコミックス)