見どころは耽美的な映像―『プロメテウス』

『プロメテウス』(3D・字幕)を先行公開で観賞した。

公式サイト:映画「プロメテウス」オフィシャルサイト 2013.1.9(Wed)DVD&ブルーレイ RELEASE

この作品は「人類の起源」などという文句で宣伝されているが、本質的には1979年の『エイリアン』の前日譚だ。リドリー・スコット監督のファンなら、そのことは観る前から知っているだろう。逆にその辺の予備知識がなければ、この作品を最後まで観ても『エイリアン』との関係性など想像にも及ばないだろう。だから「人類の起源」というミスディレクションな宣伝は止めて、最初から「エイリアン・ゼロ」とか「エイリアン・ビギンズ」というコピーでこの作品の位置付けを明確にすべきではないかと思う。

本題に入ろう。リドリー・スコット監督が、33年の時を経て訴えたいものは何だったのか。受け止める人によって違うだろうが、自分にとってはこの作品の最大の魅力は「美術」だった。『エイリアン』の宇宙船内のアートなデザインが最新の技術で進化している。コンセプトは保ったままに、3DやCGの活用で相当にクオリティを高めているというべきか。

また、異星の生物の造形も、おぞましくもどこまでも美しい。最後のクレジットを見るまでもなく、ハンス・ルドルフ・ギーガーの手によるものだ。鬼才による卓越したデザインが最新の技術と映像で現出している。彩度を抑えたギーガーのタッチが、リドリー・スコットのフィルムの色調と完全な調和をなしている。

では、肝心のストーリーはどうか。「人類の起源」というコピーが表すように、この作品では、人類の起源が異星にあることを示唆している。だが、宗教的な掘り下げという観点は最初から放棄されているに近く、科学による追求もはぐらかされているようなところが残る。『エイリアン』本編との整合性という観点からも、「ああ、そうつながるのか」という分かりやすく提示される部分がある一方で、「これは辻褄が合わないのでは」という疑問が残ってしまう箇所もある。

特に、探査のミッションを進めるW社や、乗組員の中に潜むアンドロイド、緊急脱出装置等、あちこちに『エイリアン』に露骨に繋がる「セルフ・オマージュ」的な要素が散りばめられているだけに、リドリー・スコットの真意を図りかねてしまう。既に続編の制作が決定されたという報道もあり、科学による追求や、整合性の確保等は、『プロメテウス2』に委ねられてしまっているのかもしれない。あるいは、監督もいまや74歳となり、その辺の細かいことはあまり気にしない大御所になってしまったのか。

個人的に最もひっかかったのはキャスティング。『エイリアン』シリーズと言えば、シガニー・ウィーバー。エレン・リプリーは「闘うヒロイン」の造形の原型となったような人だが、彼女と比べると、今回のエリザベス・ショウを演じたノオミ・ラパスは今ひとつ存在感が弱い。30年の時を経て、視聴する側もそろそろ「シガニー・ウィーバーのリプリー」の呪縛から開放されてもいい頃だとは思うが、そのためには説得力のある別のヒロイン像を見せて欲しいところ。監督は『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』でこの女優に惚れ込んだようだが、作品を最後まで観てもこのキャスティングには納得することができなかった。デヴィットを演じたマイケル・ファスベンダーや、メレディスを演じたシャーリーズ・セロンらは、きわめてリドリー・スコット作品らしい美しい役者だと思ったけれども。

ということで、ストーリーやヒロイン像に過度な期待を抱くと肩透かしに合うかもしれない。それでも、3DやCGの技術を得て進化したリドリー・スコットの「美術」を堪能する作品として観れば、観賞する意義のある映画だとは思う。