オシャレ映画を狙いすぎ-『グーグーだって猫である』

生きるということは喪失していくことだ。

公式サイト:映画「グーグーだって猫である」公式サイト

(以下ネタバレ)

愛猫のサバを失っても麻子は生きていかねばならない。仕事仲間は彼女を気遣い、その結果、彼女は新しい猫を迎える。それがグーグー。

グーグーと一緒にいても、彼女はいろいろなものを喪失していく。やがてグーグーも先立つ日がくるかもしれない。それでも。彼女がグーグーと過ごす時間は、貴重な財産になるのだ。生きるということはそういうことだ。

「ただいま、グーグー」

そう。彼女には帰る場所がある。それだけで十分に生きる理由になるではないか。

映画自体はちょっとオシャレ方向に力が入りすぎている感じもした。吉祥寺を強調しすぎだし、森三中を使いすぎだし。ラストが、細野晴臣による主題歌を小泉今日子がゆるーく歌う。グーグーが街中を徘徊し、そこにデザインされた字がかぶさる。うーん、僕だけなのかもしれないが、正直、逆効果で、かえってこの世界に入っていけなかった。