『BLOOD-C』における騙しの構造

喰霊-零-』も『魔法少女まどか☆マギカ』も、物語の開始時点では視聴者を騙していた。

前者は防衛省超自然災害対策本部特殊戦術隊第四課(特戦四課)が悪霊を退治する物語のように思わされたし、後者は鹿目まどかが魔法少女となって魔女を退治する物語のように思わされた。いずれも、スタートの時点では物語の真の姿を見せていなかったのだ。

さて『BLOOD-C』。この物語も、第11話を迎えるまで真の姿を見せてはいなかった。視聴者に対してフェアであるために、毎回伏線は挿入されていたけれども。見かけとは異なり、刀を持った戦闘美少女の小夜が「古きもの」を倒すという単純な物語ではなかったのだ。第11話は、何が虚構で何が真実かという点について、「脇役のメインキャスト達」から語られるという展開を見せた。

『まどマギ』が実は暁美ほむらの物語であり、主題歌の『コネクト』がほむらの心を歌ったものであることを示したのは、あと2話を残す第10話であった。もちろん事前には予想されていたことではあったけれども(交わした約束忘れないよ〜『魔法少女まどか☆マギカ』最終回予想 - Sharpのアンシャープ日記)。

一方、『BLOOD-C』の騙しの構造は一段上だ。「物語」のメタレベル。何が虚構で何が真実が分からなくなる。そして自分は何ものなのか、と。これは「小夜が古きものを倒す」という話ではないのだ。「騙し」のパートに目を奪われた視聴者は、小夜と同様、今回のカミングアウトで目眩を覚えたのではないかと思う。

「もうそろそろ終わりにしましょう、こんな茶番」というわけだ。名前や、コスチュームや、キャラでさえも、視聴者の想い入れを打ち破る仕打ち。裏を返せば、これからが「本当の物語の始まり」ということだろう。

あと1話を残してのこの超展開は、TV版『エヴァンゲリオン』の終盤の「視聴者置いてきぼり」になりかねないリスクを孕む。この作品を丁寧に視聴してきた者にとっては「来るべきものが来た」ということだろうが、「伏線回収→結末」を幅広い視聴者に納得のいく形で示すには、残り一話では時間が不足する感は拭えない。

来週の最終話で『BLOOD-C』がどのように終わるのか分からない。もしかしたら「続きは映画で」となるのかもしれない。その場合にも『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』みたいな中途半端にならないことを祈る。僕はこの作品が好きなので、綺麗なエンディングを望む。

蛇足。『BLOOD-C』の各話のタイトルは百人一首から取られているということいなので、下の歌を並べてみた。何か暗号のようなものがあるのだろうか。

あまつかぜ  くものかよひぢ  ふきとぢよ  をとめのすがた しばしとどめむ
きみがため  はるののにいでて わかなつむ  わがころもでに ゆきはふりつつ
ひとはいさ  こころもしらず  ふるさとは  はなぞむかしの かににほひける
めぐりあひて みしやそれとも  わかぬまに  くもがくれにし よはのつきかな
かぜをいたみ いはうつなみの  おのれのみ  くだけてものを おもふころかな
うかりける  ひとをはつせの  やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを
よのなかよ  みちこそなけれ  おもひいる  やまのおくにも しかぞなくなる
こころにも  あらでうきよに  ながらへば  こひしかるべき よはのつきかな
ふくからに  あきのくさきの  しをるれば  むべやまかぜを あらしといふらむ
たれをかも  しるひとにせむ  たかさごの  まつもむかしの ともならなくに
わすれじの  ゆくすゑまでは  かたければ  けふをかぎりの いのちともがな