父と子の物語のようだがー『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』

父親に複雑な感情を抱いているのは何もエディプスだけではない。これは普遍的なものだ。葛藤。この人がいなければ自分の存在はなかった。自己にとって絶対的な存在であり、あるときは何かを強いる存在であり、また別のときには何かを禁じる存在である。乗り越えたくても容易には乗り越えられない。コンプレックス。だが、そのことを絶対に認めたくもない。

「父と子」のこうした緊張関係は、作品を傑作たらしめる重要な要因となる。『ゴッドファーザー』しかり『スターウォーズ』しかり。『インディジョーンズ3』も『バックトゥ・ザ・フューチャー』も『ライオンキング』も『エヴァンゲリオン』もみんなそうだ。

パイレーツ・オブ・カリビアンの初期3部作(あえてこう呼ぶ)の完結編である本作品でも、おそらく過去の傑作を意識して、主要人物の父子にスポットが当てられている。だが、いずれも父と子の関係に緊張が希薄であり、ストーリー上の感動を大きくするには至っていない。

順番に見よう。まずジャック。彼の父親は海賊の会議でやや唐突に登場する。父親は飄々とした息子に輪をかけてとらえどころのない人物として現れる。この親にしてこの子ありといった風情の父親は、海賊の掟について分厚い書物をもって説明を行う。だが、親と子の間に特別な感情はないかのような淡泊な描写に止まる。対立も緊張関係もない。

次にエリザベス。男勝りの彼女ではあるが、父親との関係においては、「父と息子」のようにはならず、どこまでも「父と娘」であった。政敵の陰謀により亡きものとなった父と、「この世ならざる空間」で思いがけず出会い、別れを告げる。父を死に追いやったのは彼女の責任ではないものの、父の死は、彼女に「誰が敵であるか」を理解させ、海賊王となることで最終決戦に向かうとの決意を強くする。だが、それ以上のものではない。

最後に、ウィルは父親との関係の描写に最も時間が割かれている。幽霊船の乗組員として半ば化け物となりつつある父親を、ウィルは救出しようと全力を尽くす。父親が幽霊船の中で朽ち果てようとしている姿は、ウィルに驚きと哀れみの感情をもたらすが、軽蔑したり、否定したりという方向にはいかない。むしろ父親への愛を自覚すると言ってもよい。最後には自身が幽霊船の船長となることで、父親を救済しようとさえするのだから。

というように、パイレーツ・オブ・カリビアンの登場人物は、いずれも父親に対して複雑な感情を抱いたりはしていない。ディズニーの家族向け映画だからだろうか、父と子の関係が物語の推進力としては置かれていない。

いや、ディズニーとしては、物語の中に、緊張だの、対立だの、昇華だの、そういった難しいものは必要ないということなのかもしれない。人気キャラクターが海の上や異国の島で、派手に、ときにコミカルに暴れてくれて、最後に悪者が成敗されれば大団円。「父と子の葛藤」みたいな文学性は乏しいかわりに、優れて良質なエンタテインメントになっている。肩のこらない娯楽大作。実にディズニーらしいといえる。1、2、3と作品を重ねるごとに上映時間が長くなっていくのも、ディズニー流のファンサービスなんだろうな、きっと。