あおきえい監督の埋もれた名作―『喰霊-零-』

喰霊-零-』の物語を知るものは幸せである。心豊かであろうから―

喰霊-零-』は、2008年放映の作品。当時、「特別編成チームで霊を退治する」という設定が何とも子供っぽく、第1話のみで切ってしまった。だが、今回Amazon.comからBD BOX($42.99)が届いたので、全12話を一気に視聴。

公式サイト:喰霊-零-(GA-REI -zero-)オフィシャルサイト

最終話まで観て、これは埋もれた名作だと実感。そして、いままでスルーしてきたことを後悔。第1話はアニメ史に残るトリッキーな内容(ネタバレ回避のため詳細は記さず)。第2話でようやくこの物語の真の姿の片鱗が顔を覗かせ、第3話からが本当の意味での物語のスタート。第4話にして初めてOP曲がオープニングとして使われるというのが、この作品がいかに凝った構造を持っているかを象徴している。ちなみに茅原実里の歌うOP曲「Paradise Lost」は名曲。

内容的には「霊と戦う」という超自然の設定にもかかわらず、どこまでも人間の物語。姉妹同然に一つ屋根の下で暮らした黄泉と神楽の二人は、最終的に刃を交えねばならなくなる。それはなぜなのか。信じること、裏切られること、愛すること。一部に百合的描写があったり、ギャグが滑ったりしているところもあるが、本質的には「人間愛」の話だ。少年エース連載の『喰霊』の前日譚でありながら、本編とは全く違ったヒューマンドラマに仕上がっている。

黒髪ロングでつり目の諌山黄泉がときどき戦場ヶ原ひたぎに見え、突き放したようなツンドラ系の台詞に妙な既視感に襲われることもあるが、それもまた一興。商業的には『化物語』と比べるべくもないが、もっと評価されてよい。

監督は、あおきえい。アニメ『放浪息子』では、長大な原作から「自己同一性の不安」というエッセンスを見事に切り出し、佳作に仕立てた人物。『喰霊-零-』は全くテイストの違う作品ながら、共感と反発の間を揺れ動く思春期特有の心理描写の巧さは、両作品に共通している。

あおきえいは、今年後半には、虚淵玄原作『Fate/Zero』のアニメ化監督も予定されている。『Fate/Zero』は言うまでもなく『Fate/stay night』の前日譚。『喰霊』に続いて『Fate』でもハードボイルドな前日譚を描くことになったというのは、何やら因縁めいたものを感じる。いや、おそらく『喰霊-零-』での手腕が評価されての『Fate/Zero』なんだろう。大好きな作品のアニメ化には不安がつきものだが、この監督ならきっと大丈夫だと確信。