むしろフリーマンの映画―『インビクタス 負けざる者』

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私は あらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを
(『インビクタス』ウィリアム・アーネスト・ヘンリー)

奈落の闇に打ち勝ったネルソン・マンデラは、南アフリカという国からも闇を打ち払い、人種の壁をも超えて真の統合を成し遂げようとする。ラグビーはその象徴ではあるが、ひとつ手段に過ぎない。だが、この手段を見事なまでに「利用」したことに、彼の政治的手腕が現れている。スポーツとは政治なり。特に国際的な舞台においては。ラグビーチーム主将のフランソワ・ピナールをマット・デイモンが好演しているが、個人的には彼はマンデラの手のひらの上で踊っているようにしか見えなかった。

本作品はマンデラの自伝『自由への長い道』が原作。映画化への道は、モーガン・フリーマンが権利を取得したところから始まる。フリーマンは作品の脚本をイーストウッドに送り、彼は監督を快諾した。ゆえにこの作品は、イーストウッドのものというよりも、フリーマンの映画というべきかもしれない。

舞台はアメリカではなく、犠牲者も出ず、ハッピーエンドで終わるというイーストウッドらしからぬ作品になっているのはそのためかもしれない。つまり、これはマンデラの話であり、フリーマンの映画という色彩が濃い。だが、イーストウッドがメガホンを振るった以上、彼の主張もまたどこかに篭められているはずである。それは何か。

イラクへの武力介入やリーマンショックにより価値観の混迷したアメリカは、当時の南アフリカに匹敵するくらいの国難だ。だが、大統領はきちんとしたメッセージを打ち出してはいない。あるいは、大統領のメッセージは国民に届いていない。むしろ、国民の間の対立・分裂を煽っているようだ。もちろんオバマはマンデラとは違う。「黒人大統領」という点は共通しているが、国も時代も異なる。だが、現在のアメリカ合衆国大統領にはもっとできることがあるのではないか―この作品でイーストウッドが示したのは、「リーダーリップの重要性」なんだろう。

個人的には、この『インビクタス 負けざる者』には、道徳の教材のような説教臭さがあると思う。絶望の深淵から這い上がったはずのマンデラの絶望が十分に描ききれていないのではないかという物足りなさもある。それゆえ他の作品ほどは好きになれない。だが、イーストウッド監督作品ということで「後光」を感じてしまうことも事実だ。さて、次は何を観るべきか。『許されざる者』か『ミリオンダラー・ベイビー』あるいは最新作の『ヒア・アフタ』あたりか。