ヒーローの本質は暴力〜『ダークナイト』

ということで、『バットマンビギンズ』の続編『ダークナイト』。

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とにかく凄い映画だ。これをいままで観なかったことを後悔するばかり。

まずは客観的なデータから。
クリストファー・ノーラン監督の主要作品の興行収入の推移だが、『メメント』(2000年)39百万ドル、『インソムニア』(2002年)113百万ドル、『バットマン ビギンズ』(2005年)372百万ドル、『ダークナイト』(2008年)1,001百万ドル。この作品は文字通り桁違い。
続いてアカデミー賞。第81回アカデミー賞には以下部門で7部門でノミネート。助演男優賞、撮影賞、美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、音響編集賞、編集賞。このうち受賞は、助演男優賞、音響編集賞。

2時間30分を超える作品ではあるが、最初から最後まで密度の高いストーリーで息をもつかせぬ展開。何が正しくて、誰を信じてよいのか分からないというどんでん返しが続く。またゴッサムシティの街のセットが緻密で壮大で美しい。こうしたストーリー展開や美術のレベルの高さこそが『インセプション』にも継承されている美点だろう。一方で、ストーリー的には両者の間にあまり共通点はなく、無理にあげればこじつけになるだろう。

それでは、肝心のストーリーへ。以下ネタバレを含む。

バットマンは悪を倒すヒーローだ。だが、合法的に活動しているわけではない。暴力に対抗するための暴力装置だ。この矛盾を突く敵役のジョーカーは、単純に悪に与するのではなく、偽善ぶった人間社会の仮面をはがすことが望みだ。ある種の愉快犯。当然だが、ここでのバットマンには、世界の警察を任じて各地で武力を行使するアメリカの姿が重なって見える。そして、そうした偽善的な暴力をあざわらうように無秩序な殺戮を繰り返すジョーカーは、テロリスト集団に見える。そして、バットマンは、敵を追いつめるために、通信会社を文字通り買収して盗聴さえ行う。これはブッシュどころか、もはやニクソンの領域である。

そう、この映画はこう断罪する。「ヒーローの本質は暴力だ」と。そしてこう問う。「それでもあなたはヒーローを支持するのか」と。もちろん理想としては、合法的かつ民主的に正義を実現するのがよいに決まっている。だが、その手法を追求したハービー・デント判事は、結局のところジョーカーの魔手にかかった。悪は老獪だ。法の執行は脆弱だ。そして、人民は移り気だ。こうした中で、合法的かつ民主的に悪を滅ぼし、正義を実現することは本当に困難を極める。そんないばらの道を誰が喜んで進むのか。

エンディングで、合法の象徴となったゴードン市警本部長はバットマンを追うこととなる。もちろん両者の関係が本質的に盟友であることに変わりない。だが、バットマンはもはやヒーローから転落し、ダークナイトという地位に堕ちる。暴力に正当性はない、たとえそれが正義という名の下に行使されようとも、それは単なる私刑に過ぎない―

「アメリカ軍のイラクからの完全撤退」を公約に掲げてバラク・オバマが大統領選挙に当選したのは、この映画の公開された年と同じ2008年の出来事であった。