『ストライクウィッチーズ』はなぜ傑作か

ストライクウィッチーズ2』第二話「伝説の魔女達」を観ていたら、涙が出てきた。

公式サイト:ストライクウィッチーズ2

この作品は、猫耳とかメカ少女とか「パンツじゃない」とか、どうもそっち方面ばかりが注目されてあざといと思われがちだけれども、実はとんでもなく優れた作品だと思う。文部科学省が推薦するに値するくらいの。

まず、ここまで人物がきちんと描けている作品はホントに少ない。最近は、なんだか実在感がないくらいにユルかったり、視聴者目線が入り込んだようなメタなキャラを混ぜるのが当たり前の風潮の中で、このガチな姿勢はいまや貴重。

次に、アクションやメカも素晴らしい。飛行機や戦艦のディテールや動きを徹底的に精密に描いている。だからこそ、敵(ネウロイ)やウィッチーズの魔法という設定が引き立ち、現実を超えた描写が効果的となる。この辺はエヴァで切り開いた地平が継承されている。

さらに、ストーリーも王道。ラブコメやパロディに逃げることなく、自分と向かい合うこと、敵と戦うこと、仲間と成長することが、しっかりと描かれている。第二話「伝説の魔女達」は、かつての戦友たちが、世界の危機に際して自ずから集結し、力を合わせて強敵を倒すというベタな話だったが、それだからこそ泣けてきたのだろう。

だが、何よりもこの作品を傑作にしているポイントは、主要キャラに男性が出てこないことだろう。もちろん男性が全く登場しないわけではない。だが、敵の前ではウィッチーズに比べると無能な存在としてしか描かれないのだ。

この点、同じ「戦闘美少女」モノで、TV放映の時期が1期、2期ともに重なっている『セキレイ』とは好対照だ。『セキレイ』の方は、ヒロインの結を含めて多くの戦闘美少女が主人公の皆人(特に能力のない浪人生)とキスすることで能力を発動させるのに対して、『ストライクウィッチーズ』の方は男性が介在する余地がない。男性視聴者が自己を投影するキャラクターが存在しないということは、視聴者は純粋に「観察者」となるのみ。だが、それこそがこの作品の長所なんだろう(カメラワークも完全に「観察者向け」に最適化されているし)。

つまり、ゼロ年代ライトノベル的物語の王道であった「何のとりえもない僕のところに、空から美少女が降って来た。それで分かったのだけれど、実は僕は彼女のために役に立つ能力を持っていたのだ!」という設定はもう陳腐になってしまっている。これは、『セキレイ』だけでなくて『灼眼のシャナ』も『とある魔術の禁書目録』も同じだ。

物語の中に自己同一化することなんていらない。男性の登場人物が、女性のヒロインとキスしたり、あんなことやこんなことをする場面なんて、たとえ妄想としてもいらない。そうではなく、物語を純粋に物語として、キャラクターを純粋にキャラクターとして鑑賞できればいい。そんな視聴者の願望に『ストライクウィッチーズ』は真剣勝負で応えてくれる。そこがこの作品の最大の魅力であり、それに徹しているがゆえに傑作になっているのだと思う。

ストライクウィッチーズ Blu-ray Box

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ということで、高村和宏監督に敬意を表して、自分としては初となるアニメのBlu-ray BOXを注文した。

以下余談。『とある魔術の禁書目録』よりも『とある科学の超電磁砲』が好ましいと感じるのも、男性の介在の仕方という点で同じ構造があるからだろう。つまり、『禁書目録』の世界に没入できないのは、よく言われるようにインデックスのキャラが薄いとかいうのが原因ではなく、上条当麻の「イマジンブレーカー」という能力がどうしようもなくご都合主義的であり、そのような都合のいい存在である当麻に自分を同一化できないからだと思う。他方、『超電磁砲』であれば、男性の存在にかかわらず、御坂美琴白井黒子らの活躍する姿を堪能することができる。この点で『超電磁砲』と『ストライクウィッチーズ』は同じ構造を持つのだ。