家族でデジモン〜『サマーウォーズ』

サマーウォーズ』(公式サイト:映画「サマーウォーズ」公式サイト)を観た。以下ネタバレ。

細田守監督は、なぜいま『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』をセルフ・リメイクしたのか。まず、劇場版デジモンのあらすじは以下の通り(これもネタバレ)。

インターネット上に世界中のデジタル・データを食べ成長する凶悪なデジモン、クラモンが誕生した。少年・太一は、光子郎と共にクラモンを退治すべくアグモンとテントモンをネット世界に送り込むが、クラモンは驚くほどの早さで完全体・インフェルノモンに成長。NTTの電話回線を制圧し、太一たちがインターネットにアクセスできないようにしてしまう。そこで、太一たちはNTT回線を使わない衛星携帯電話でネットにアクセス。漸く連絡の取れたヤマトのガブモンもバトルに加わって、リベンジが開始された。ところが、太一がコンピュータをフリーズさせてしまった隙に、究極体ディアボロモンに成長した凶悪デジモンはアメリカ国防省のコンピュータに侵入すると、日本へ向けて核ミサイルを発射させてしまった。ミサイルが爆発するまで10分しかない。絶体絶命の太一。だがその時、奇跡が起こった。太一とヤマトがネット世界に入り込み、アグモンの究極体・ウォーグレイモンとガブモンの究極体・メタルガルルモンを合体させ、オメガモンを誕生させたのだ。激しいバトルの末、オメガモンはディアボロモンを退治することに成功。世界は凶悪デジモンの脅威から救われるのであった。

なんのことはない。『ぼくらのウォーゲーム!』のデジモンが『サマーウォーズ』ではアバターに変わり、登場人物では少年達が老若男女の大家族に置き換わっただけだ。アメリカ国防省が絡むのも、飛翔体が日本めがけて向かってくるところも同じ。本当に。細田守はこのストーリーがよほど気に入っているのだろう。だが、それを知っている人にとっては、『サマーウォーズ』は最初から展開が読めてしまう映画だ。ただ、今回、大家族を中心に据えたのは、細田が「古きよき日本」を描きたかったのか、それとも作品を家族向けにすることでポスト宮崎駿になりたかったのか、そのあたりは分からない。

映像的には、現実世界と仮想世界が交互に描かれ、基本的に前者が手書きで後者がCGとなっている。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』のように巧みに両者が融合した作品を観たあとでは、どことなくつぎはぎ的な印象を免れない。

次に声優陣。主人公の健二を演じた神木隆之介はさすがの巧さ。おばあさん役の富司純子はアニメの声優は初ということだったが、文句なしのベテランの貫禄を見せた。「格ゲーヲタ」の少年・佳主馬というのは難しい役どころだったが、谷村美月が想像以上に上手かった。だが、ヒロインの夏希がいまひとつ。人物的にも演技的にも魅力が乏しい。桜庭ななみを選んだのは、挑戦的な試みだったのかもしれないが、それが成功したとは言いがたい。たとえ「時かけ」の二番煎じと言われたとしても、実力には折り紙つきの仲里依紗を当てた方がよかった。彼女がオバサン役だなんて、なんともったいない使い方。

主題歌の山下達郎も違和感を感じた。曲自体は決して悪くないのだが、映画の雰囲気とまるであっていない。なんだか映画製作側の事情ありきではないかと感じさせるキャスティングだった。エンドロールもどちらかというと工夫のないつくりだった。

総じて、日テレを筆頭にする大資本が作り上げた「夏休み映画の激戦を戦う作品」という感じ。その意味で「サマーウォーズ」と名づけたのであれば、作り手のシニカルなユーモアは評価できる。