アカツカ・イズ・デッド

8月2日、赤塚不二夫が亡くなった。住所が中落合と発表されたが、いまだにトキワ荘からそう遠くないところに居を構えていたことを知り改めて感慨を抱いた(晩年は入院生活が長かったが)。

赤塚の作品の中では『おそ松くん』と『天才バカボン』が代表作だと言われるが、時代を超えて愛されているのはバカボンの方だろう。

バカボンは、連載当時から全く「ナンセンス」としか呼べない存在だった。拳銃を撃ちまって「タイホする!」と叫ぶ警官を登場させたからといって「反権力」でもないし、早稲田大学の戯画的存在であるバカ田大学を出したからといって「反権威」でもない。「ウナギ+イヌ=ウナギイヌ」に象徴されるようにあらゆる「意味」そのものへのアンチテーゼであったのだと思う。

たとえば、天才バカボンにこんな話がある。

何よりも余計なことが大嫌いな親子が登場する。そして、無駄と言われることをどんどん省いていく。「どうせ起きるから寝ないでいる」「風呂に入ってもどうせ出るので入らない」などなど。そして最後は「人はどうせ死ぬのだから」と言って死ぬ。

もちろん赤坂自身がこのようなニヒリズムを主張していたわけではない。思弁を突き詰めていくとき、あるいは主張や原則を行動に移すときに、そこに避けがたく生じてくる「嘘」や「いかがわしさ」を揶揄しているのだ。その意味で赤坂は「ギャグに生きた」わけではない。「意味なんてない」ということにいち早く気付いたポストモダン的な存在であったのだと思う。

このような純粋なナンセンスマンガは赤塚の開拓した領域であった。この開拓の試みは、山下洋輔のジャズや、筒井康隆の小説や、後のタモリのギャグに通じる革新的な精神に裏打ちされていたのではないかと思う。何でもあり。これでいいのだ、と。

だが、赤坂がバカボンで一世を風靡した後、価値観の混迷は現実のものとなる。ポストモダンの漫画家としていがらしみきお吉田戦車相原コージが時代を担う。そこにある不条理、哲学、メタ漫画的視点は、いずれも赤坂の切り拓いた地平の先でこそ得られる成果であった。

こうした後継者(さすがに「赤坂チルドレン」と括るには無理がありすぎると思う)を得て、赤坂不二夫の業績はいっそう普遍的な存在となったと言える。それと引き換えに本人の作品が古びてしまうのは必然であった。伊藤剛氏の『テヅカ・イズ・デッド』(テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ)になぞらえてあえて言おう、「アカツカ・イズ・デッド」と。

謹んで赤塚先生のご冥福をお祈りします。

「おそ松くん」「天才バカボン」などのギャグ漫画を世に出した漫画家の赤塚不二夫さんが2008年8月2日午後4時55分に肺炎のため東京都文京区の病院で死去した。72歳だった。

62年から「週刊少年サンデーに」連載した「おそ松くん」が大ヒットしてから、「天才バカボン」や、「もーれつア太郎」などのヒット作を連発した。「シェーッ」「ニャロメ」「これでいいのだ」。漫画のなかのキャラクターの言葉も大流行した。「ひみつのアッコちゃん」といった少女漫画も生み出した。02年に脳内出血で倒れてからは闘病生活を送っていた。
赤塚不二夫さん死去 「天才バカボン」など大ヒット : J-CASTニュース