強さが力なのか? 任務を忠実に遂行することが有能なのか? たとえそれが同胞を殺すことだったとしても…
- 作者: 浦沢直樹,手塚治虫,長崎尚志
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2006/12/26
- メディア: コミック
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『PLUTO』も第4巻になって、ついに天馬博士*1が登場。オリジナルの「地上最大のロボット」で手塚治虫が提示した問題は主としてロボット倫理に関するものであったが、浦沢直樹のリメイクによって国際政治の側面に強いスポットライトが照射されている。「大量破壊ロボット」を巡って起きた第39次中央アジア紛争という設定は、フセイン政権下のイラクを彷彿とさせる。
現実世界では、米国はイラクに爆撃を行い、政権を転覆させて、戦争裁判によってフセインを断罪し、死刑を執行した。だが、大量破壊兵器はいまだに見つかっていない。フセインが死んだことで何かが前進するとは考えられない。むしろ、憎しみの連鎖を強くする恐れもあるだろう。
『PLUTO』の中では、紛争で活躍して独裁政権を倒したロボット達が何者かによって一体ずつ「殺されて」行く。犯人は誰か、その動機は何か、背景には何があるのか、というサスペンスは浦沢作品ならではのものだ。しかし、この作品には、見かけ上のサスペンス以上に浦沢の強い問題意識が横たわっていると思う。
アトムは御茶ノ水博士を人質に取られて「怒り」や「憎しみ」という感情を強める。ロボットなのに。だが、そうした感情を持ってしまう時点で、敵の術中にはまっているのだということが示唆される。では、どうしたらこの「戦い」を終息に向かわせることができるのだろう。アトムには何ができるのだろう。
浦沢『PLUTO』、この先の展開も目が離せない。