「保守」とは何を守るのか〜靖国参拝問題

日経新聞は、昭和天皇がある時期に靖国参拝をやめたのはA級戦犯の合祀に不快感を示したためだという富田朝彦宮内庁長官のメモ*1を20日付の一面トップで報じた。これは、表面的には首相の靖国参拝に反発する近隣諸国や野党および一部のマスコミによる批判を後押しする材料になるように見える。

しかし、よく考えてみれば、昭和天皇の発言を根拠として首相の靖国参拝を批判することは、非常に奇妙な論理だ。現時点では「象徴」に過ぎない天皇と、議院内閣制の制度の下で選出された首相のどちらに「正統性」があるかというのは明らかだろう。しかも、昭和天皇は既に故人である。

結局、日本政府を批判したい国は、それがたとえ天皇の発言であろうと、利用できるものは利用するだろうし、コイズミを批判したい勢力は、同じように天皇の発言を利用するだろう。そして、マスコミはこうしたものを「論争」として面白おかしく報道する。

近隣の諸外国について論じると焦点がぼけるので、まずは国内での議論に的を絞る。「保守」とは、天皇という制度(現在の憲法上は「統合の象徴」)を擁する国体を守るのではなかったか。そして「革新」とは、かの戦争への反省から、法的に権威のない権威から民主主義へと舵を切り、民意を守るのではないのか。

もちろん現在の政治状況は政権交替可能な二大政党化へ過渡期にあるため、「保守」「革新」の二項対立では論じきれないと思う。が、今回のような昭和天皇の発言を受けた与野党の反応を見るに、真の意味での「論理」とか「主義」というのを掲げている政治家や論客がいかに少ないかにあきれる。

近隣の諸外国は、日本におけるこのような「論理」や「主義」の欠如を見透かして、中には不当なものを含む要求や批判を行っている。時には、海の上や空の上で実力行使に出ることもある。彼らは、日本の世論がいかなる反応を示すのかを試しているわけだ。

その意味で、今回の問題について、政治家、マスコミ、各界の識者がどう取り扱っていくのかが注目される。繰り返しになるが、ポイントは「何を守るのか」というところだ。

*1:これはこれで第一級の史料だろう