後藤田正晴が死んだ。マスコミは一斉に彼の在任中の功績を称える。いわく、87年に中曽根首相がペルシャ湾へ海上自衛隊を派遣しようとしたのを断念させた。また、96年に潔く政界を引退した。などなど。
思い出はいつも美しく、死者はつねに善人だ。それは構わない。「死人に鞭打つ」という言葉は、日本では避けるべき行為として「忌み句」になっている。たとえメディアであっても、基本的には死者の功績を称える記事を書くのが慣わしになっている。
だが「ご意見番の後藤田氏が、いまの自民党を見たらなんというだろうか」みたいなことまで言うのはおかしい。死んだ者はこの世界を見ることはできない。少なくとも、それに対して意見を述べることはない。後藤田がなんというか想像するのは勝手だが、「後藤田ならこういうだろう」などというのは詭弁だ。本気で言っているとしたら、オカルトだ。口寄せだ。イタコだ。死者イメージを都合のいいように操るのは、死者を冒涜する行為ですらある。死者を復活させて操るのが許されるのは、マンガの中だけだ*1。
「民主主義」を掲げると思われる朝日新聞でさえ、民意の集約であるはずの国会に対する「後藤田的なご意見番」の存在を渇望しているように見える。
国会は一段と小泉色に染まりそうだ。こんな時こそ、しっかりとしたご意見番が欲しいが、なかなか見あたらない。かつて、そうした貴重な存在だった後藤田正晴・元副総理が、91歳で死去した。
こんな言い回しをせず、小泉批判だろうが、自民党批判だろうが、メディアは自由にやればいい。ただし、それは自分の言葉で行なうべきだ。故人の権威を借りてくるのは、卑怯な方法だ。そして、メディアにとっても自殺行為だと思う。
*1:いや、マンガの中であっても許されることではない