※ただしイケメンに限る〜『ラストレター』(岩井俊二監督、2020年)

小沢健二が2020年にリリースした新曲『彗星』は、1995年の冬の回顧するところから始まる。

1995年冬は長くって寒くて
心凍えそうだったよね

僕にとって、1995年の冬といえば、岩井俊二の初の長編監督作品『Love Letter』。

同姓同名の「藤井樹」の間で奇妙な文通が始めるという設定で、主人公の中山美穂豊川悦司の好演はもちろん、若い頃を演じた柏原崇酒井美紀の「思春期」の魅力があふれていた作品だった(この二人は翌年のテレビドラマ『白線流し』にもキャスティングされるに至った)。

岩井俊二はその後、『スワロウテイル』、『四月物語』 、『リリイ・シュシュのすべて 』、『花とアリス』などの傑作を世に出す。

その世界観を描く映像は美しく、特に『花とアリス』の蒼井優がバレエを舞うシーンの美しさは、これまでの邦画のトップクラス。

あの作品を生み出すのには、撮影監督の篠田昇の貢献が大きかったと言っても過言ではない。

2004年、篠田昇が亡くなると、岩井はそれまでとは作品との関わり方のアプローチを変えていく。

プロデュースを主体にしたり、アメリカに移住してハリウッド映画を作ったり、ロトスコープを用いたアニメ作品を作ったり。

ファンの目から見ると、「一線を退くつもりなのか」「もうパッションがなくなったのか」というように見えてやきもきしていた時期が長かった。

そんな岩井がまさに日本映画界のど真ん中に帰ってきた。

そう、小沢健二が歌った「彗星」のように。

この彗星が巡る周期は25年なのかどうか、そんなことはどうでもいい。

小沢健二は、長男を表に出して「父性愛」という新しい面をチラチラ見せながら帰ってきた。

では、岩井俊二はどういう顔で帰ってきたのか。





(以下、ネタバレあり)



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『ラストレター』の主人公の裕里(松たか子)は、子持ちの主婦で、ダンナとは倦怠期にあり、しかも義母の介護の負担までちらついている。

同じ高校を卒業した鏡史郎(福山雅治)は、デビュー作で賞を受賞したがその後鳴かず飛ばずの中年の小説家で独身。

裕里の姉である未咲が亡くなり、この二人が高校の同窓会で数十年ぶりに「再開」するところから物語が始まる。

この設定だけを見れば、「恋は遠い日の花火ではない」という今なおお盛んな中年男女に向けたベタなマーケティング主導の作品に見えなくもない。

だが、裕里の姉である未咲と鏡史郎との間に、奇妙な「文通」が始まるところから、岩井俊二の個性とも言えるロマンティシズムが全開になっていく。


1995年ならともかく、2020年のスマホ時代に「文通」というのも無理があるようであるが、そこはうまく「設定」で工夫していて違和感が小さい。

この文通における「未咲」のゴーストライターは最初は裕里だけであったが、ひょんなきっかけで未咲の娘である鮎美(広瀬すず)も加わっていく。そのやりとりを裕里の娘である颯香(森七菜)も眺めている。

言葉にしてみるとかなり無理がある設定なのだけれども、俳優陣のルックスと手紙朗読の声の魅力によって、まるで魔法がかかったように生々しいほどのリアリティを伴って物語が展開される。

これが映画のチカラ。

そして岩井俊二のマジック。

手紙をやりとりしていく中で、亡くなった未咲を巡る青春時代の想いが蘇ってく。

高校時代の未咲(広瀬すず)、裕里(森七菜)、鏡史郎(神木隆之介)それぞれの想いが交錯する中で、当時も「文通」をしていたこと、卒業式の挨拶文を一緒に書き上げたこと、裕里が鏡史郎に片想いをしていたことなどなど。

この作品のクライマックスは、小説を書くことへの情熱を失いかけている鏡史郎が、自分がかつて好きだった子の娘である鮎美と、自分をかつて好きだった子の颯香と出会って、亡くなった未咲を「媒介」にして心を通わせ、自己肯定感を取り戻していくところにある。

普通であれば、アラフィフの独身男性が女子中学生たちと交流するとかファンタジーの中のファンタジーでしかない。

場合によっては「犯罪」として通報される事案である。

客観的に見れば相当に気持ち悪いこの状況が物語の中心に据えられていても、感動的なものに思えてしまうのは、鏡史郎を演じる福山雅治の俳優としての力量によるところが大きい。

全ては「※ただしイケメンに限る」である。

俳優について触れるとすれば、岩井俊二監督作品では『四月物語』以来再び主人公を演じる松たか子の「人間臭さ」と「清潔さ」が高い次元でブレンドしているのが素晴らしい。

演技も「虚実ない交ぜ」になっているキャラクターを微妙に渡り歩くあたりに「うまさ」「ずるさ」「強さ」を感じさせるはまり役。

少女役で言えば、広瀬すずは今や日本映画を代表する若手女優だけあって、凛とした美しさでの存在感は圧倒的。

終盤、突如饒舌になって、中年の鏡史郎に対して「もっと早く会いたかった」というあたりは、ちょっと芝居がうますぎるというか、ベテラン女優の風格をも漂わせていた。

岩井俊二映画の少女」という観点では、若き日の裕香と現在の颯香を演じた森七菜の持つ「純粋さ」「原石の魅力」がスクリーンからあふれていた。

ちょうど『Love Letter』の頃の酒井美紀を彷彿とさせると感じたが、監督自身も同じだったであろう。

岩井俊二監督自身が森七菜から相当のインスパイアを得ていたり、情熱を注いだであろうことがまる分かり。



高校時代から好きだった人を愛し続け、その人を作品した小説で賞を受賞。

その後も誰かと家庭を設けることはなく一途な気持ちを持ち続け、時をへて、その女性の娘と会って心を通わせ合う。

言葉で書くと本当に気持ち悪さしかないと自分でも思ってしまうけれども、悲しいけど、これが中年独身男性の「理想」なのよね。

もちろん、それが「理想」であり「ファンタジー」であることは十分にわきまえた上で言うけれども、「帰ってきた岩井俊二」は森七菜という素晴らしい俳優を得て美しい青春映画(*)を作ったものだと思う。

(※ただしイケメンに限る



今回、少し残念だったのは映像。

ドローンカメラの使用などで新しいアプローチ開拓に余念がないのはいいところだが、かつての篠田昇の圧巻の映像美には及ばず。

もう少し「魔法がかかれば」と感じたシーンがいくつかあった。

逆光のハレーションとか、ソフトフォーカスとかが足りないというべきか。

これは僕だけのノスタルジィなのかもだけど。


あと、さらに野暮を承知でもう一つだけ。

TOHOシネマズ日比谷はキャパ500人規模のスクリーンを用意していたが、封切り4日目にして100人いるかいないかのガラガラ。

もちろん、映画の評価は動員数で決まるものでもない。

作品が「見て欲しい人」「届いて欲しい人」に届くことの方がよっぽど大事というのは、この作品のテーマにも重なるところがあるけれども、それにしても大規模な製作委員会の割には、という印象は拭えない。