水の中こそまことー「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017年、アメリカ)

「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」
江戸川乱歩


ヲタクはロマンチストである。ソースは俺。



…ということで、「パシフィック・リム」を世に出したヲタク監督のギレルモ・デル・トロ


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ヲタクならギレルモ嫌いな人はいないよな。

そんな彼の最新作は、半魚人と人間のロマンスを描いた純愛作品「シェイプ・オブ・ウォーター」。


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ギレルモのロマンチストの面が全面に出た佳作だが、アカデミー賞で作品賞・監督賞など4賞を受賞という快挙。

これは、ギレルモ好きには喜ばしい限り。

まず、本作のアカデミー賞受賞に関して言えば、受賞には二つの追い風が吹いたと考えている。

一つ目は、反トランプ。

彼の「メキシコとの国境に壁を作る」という公約への反発が、アマゾン出身の半魚人や、メキシコ出身のギレルモを「立てる」方向に働いたことは想像に難くない。

そして、ギレルモ自身も、多様性の受容を肯定的に描くシーンを本作でも多く取り入れている。

二つ目は、#MeToo に象徴されるパワハラ・セクハラ的なマッチョ主義への反動。

固有名詞は出さないが、著名な女優が歴代の大物映画人を続々と告発していく中で、ギレルモモのようなヲタク気質の監督の評価が相対的に高まった面はある。

たとえば、10年前ならこの作品がアカデミー賞作品賞を受賞するのは想像できなかったと思う。

そう考えると、時代の追い風を最大限に受けたとは言えるだろう。

さて、アカデミー賞での受賞背景の分析はこの辺にして、肝心の作品の内容についても語りたい。




『シェイプ・オブ・ウォーター』日本版予告編

公開されているあらすじは以下の通り。

1962年、アメリカとソビエトの冷戦時代、清掃員として政府の極秘研究所に勤めるイライザ(サリー・ホーキンス)は孤独な生活を送っていた。だが、同僚のゼルダオクタヴィア・スペンサー)と一緒に極秘の実験を見てしまったことで、彼女の生活は一変する。 人間ではない不思議な生き物との言葉を超えた愛。それを支える優しい隣人らの助けを借りてイライザと“彼”の愛はどこへ向かうのか……。

ギレルモの2007年の作品「パンズ・ラビリンス」とは時代と舞台の違いこそあれ、共通項も多い。

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(以下ネタバレあり)

ヒロインは少女ではなく中年の女性。

発声に障害があり、少数の友人を除いて現実世界からはやや孤立した存在になっている。

清掃員の仕事で偶然に「半魚人」の存在を知り、機会を重ねることで彼に興味を持ち、心を通わせ、脱出計画に加担する(むしろ首謀するというべきか)。

水の中の世界は「彼岸」であり、厳しい現実から逃れる先として現れる。

半魚人にとっても、ヒロインにとっても。

その「彼岸」は、映画のクライマックスに向けて、小さなバスタブの中から、浴室、雨の街、そして水かさの増した川へとスケールアップしていく。


米ソの対立という時代背景の中でどんどん追い込まれた二人は、最終的には水の中の世界で結ばれる。

このエンディングの解釈は多様で、半魚人の持つ超自然の力が彼女の負った致命傷を治癒したとか、もともと彼女自身が人間ではなく半魚人だったとか、あるいはあのエンディング自体が一つの可能性としての想像の産物にすぎないなど。

ちなみに、僕の解釈は「別の世界に行った」というもの。

乱歩が「夜の夢こそまこと」と言ったのになぞらえて言えば、「水の中こそまこと」というわけだ。


劇中では、古きよき時代の象徴として、レコードでのジャズ音楽を流す場面や、劇場での映画を上映する場面が効果的に使われている。

ともすると分断がテーマになりがちな世界において、音楽や映画による「絆」を取り戻そうとするギルレモのこだわりが感じられる場面。


半魚人とヒロインが「結ばれる」のも衝撃的だったが、水滴が溶け合うところにシャンソンが流れるという隠喩的な描写に止めたあたりに、ギレルモのロマンチストな面を感じた。

個人的に一番インパクトがあったのは、声を失ったヒロインが彼女の夢想の中でミュージカルの主演女優のように歌って踊る場面。

人は誰もが物語の主人公でいたいという願望をストレートに描いていた。



さて、僕が主役になれる「まこと」の場所はどこだろう、というようなことを考えさせられた。