『スーサイド・スクワッド』

僕にとって、理想の悪役はジョーカーである。理想など持たず、全ての権威、価値観を否定するようなニヒリズム。あれを突きつけられて、根源的にモノを考えないなんてありえない。そういう精神への攻撃こそ最大の強さだと思っている。

ということで、悪役ばかりが登場して活躍するはずの『スーサイド・スクワッド』。

コスプレを極めたような異形、常人が絶対に追いつけないような特殊能力、そして善悪を超えて力で勝負するいびつさ。特殊撮影や大掛かりなロケも画面に華を添える。

だが、結論から言えば、僕にはスケールの小さい映画にしか見えなかった。

登場人物たちは、首に爆弾をつけられて、権力に操られているわけで、まあそうでもしないと「言うこと」なんて聞かないんだけれども、そういう設定自体が登場人物の魅力を削いでいた。

ヒロインというか、実質主人公扱いのハーレクイーンも御都合主義な動かされ方で落ちどころが読めてしまうし、あのジョーカーでさえも、その御都合主義に合わせて、まるでロマンスの相手方として理想的な立居振る舞いを見せる。

まあ、こういうのはマーケティングの結果なのかもしれないれけど、女に愛されるフェミ二ストなジョーカーなんてジョーカーじゃないと声を出しにして言いたい。

作品のトーンも、痛快アクションものなのか
おバカなパロディものなのか、価値観を転倒させるシリアスものなのか、よく分からなかった。

DCで言えば「スーパーマンバットマン」が陰々滅々とした暗い映画になって失敗した反動でこんな珍作を送り出したのかもしれないけど、これはますますダメだね。

DCファンだからなおさら残念だった。時代はマーベルだな。