オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

世の中を違った角度から眺めることは大切で、そのために有益な視座を身に付けるには、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』とか、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』とか、フリードリヒ・ハイエクの『隷従への道―全体主義と自由』とか、代表的なテキストなんだろうと思う。

そして、そういう本を若いときに読んでおくべきなんだろうとも思う。

ただ、そういう書物を読んで影響を受ける人が多かったのも事実で、へそ曲がりな性分の自分としては、あえて読まずに今日まで来てしまっているものも多い。

ダメな大人だな。

ということで、わかったつもりになっていたオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』を読んでみた。

時代は第一次大戦後、オルテガ・イ・ガセットはスペインから、存在感を増したアメリカと、引き換えに衰退するヨーロッパを見ていた。そして、アメリカに大衆を、ヨーロッパに貴族(あるいはエリート)を見ていた。

だがしかし、このテキストはかなり豊穣で、単純な大衆批判でもないし、その逆のでもない。

ガイドブック風に単純に要約しようとすればするほど、確実に大事なものが零れ落ちるような気がする。ということは、ガイドブックだけを読んでわかった気になってはいけない、ということだ。

とりわけ印象に残った個所を引用する。

今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。

大衆が自ら行動する時は、彼らはただ一つの方法によって行動するのみである。それは私刑(リンチ)であり、彼らはそれ以外の方法をもっていない。私刑法がアメリカで生まれたものだというのは、まったくの偶然とはいえない。なぜならば、アメリカはある意味では大衆の天国だからである。

彼はよく見える目で世界を見ていたということだろう。

ただ、僕が思うに、このテキストを「その後のEC/EUの誕生を予言した」とか、「現在の日本の状況に対する批判にもなっている」とか矮小化してしまうのは、実にもったいないし、それはそれでミスリーディングではないかと思う。

まあ、確かにネット社会になって、「凡俗であることを権利を敢然と主張」する人や、「私刑(リンチ)」をする人をあちこちで見かける。現在のマスメディアも含めて、そういう意味では「大衆であること」を臆面もなく声高に主張する存在が目につく。

ただ、ネット社会がそういう存在を増やしたり過激化させたかどうかは分からない。個人的には、従来からあったものをSNSが「見えるようにした」だけだと思っている。

とまあ、本の感想からはだいぶ脱線したけれど、読むことをきっかけにして活発に思索を巡らせる効果のある、いわば「触媒」のような本ではないかと思う。

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)