「チャッピー」(2015)

第9地区」のニール・ブロムガンプ監督が、再び南アフリカを舞台とした作品のメガホンを取った。

主役は、チャッピーと名付けられたロボットで、今回も妙に細長くて、「第9地区」のエイリアンを彷彿とさせる。

犯罪の多発するヨハネスブルグで、警官が被害に遭う事態に対して開発されたのが、このロボット。

本来であれば、アイザック・アシモフロボット三原則に従ってひたすら命令されたミッションをこなすことが目的のはずだが、ひょんなことから人工知能と学習機能が、ギャングに悪用されることとなり…というストーリー。

詳細なネタバレは避けるが、ブロムガンプ監督は、今回もコミカルな演出とユニークな映像を見せながら、その本質において、南アの対立構造を隠喩的に示している。

それはすなわち、「相互に理解しあえない<他者>とは何か」、「正義と悪を分かつものは何か」、「対立するもの同士が共存することは可能か」、「戦いの中で幸せとは何か」などという深淵なテーマだ。

第9地区」と同じく、映画を鑑賞するものにとって、生理的に不快を覚えるような描写も多いが、そここそ監督は問うているのだろう。すなわち、あなたのその生理的嫌悪感は、つまるところ偏見ではないのかと。

映画の中には、チャッピーが純粋さゆえに酷い目にあったり、逆に処世術を身に付けた結果上手く立ち回るようにような場面がある。

そこで僕らは自分たちの固定観念を今一度疑う。正しいこととは何であって、どういう状態が理想なのかということについて。

僕らが固く信じているものは、案外誰かに植えつけられた価値観かもしれないーブロムガンプ監督の作品は、そんなことに気付かせてくれる。

「チャッピー」は、SFアクションの要素も、ヒューマンドラマの要素もあるが、それ以上に、哲学的なテーマを孕んだ実に内省的な作品であった。