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スーパーコンピューターは人間に恋をするか―東野圭吾『ラプラスの魔女』

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
ピエール=シモン・ラプラス『確率の解析的理論』)

科学の発展により、天体の動きはほぼ完全に予測され、不安定な気象でもそれなりの確率で予想できるようになっている。世界経済や金融市場の動きも、ある種のモデルによって予測する動きが進んでいる。

18世紀に活躍した数学者ラプラスは、全ての性質と法則を知る存在を空想した。これは神と呼んでもいいし、悪魔と呼んでもいい存在であるが、近年は「ラプラスの悪魔」と呼ばれるのが一般的になっている。

そのラプラスの悪魔をモチーフにしたのが東野圭吾の書下ろし最新刊『ラプラスの魔女』。

全ての情報を把握し、それをスーパーコンピューター並に処理できる知性があれば、あたかも自然現象をコントロールしているかのように振る舞い、人間の行動でさえも事前に予測することにより、先手を打って誘導していくことができるかもしれない。

本書に登場するのはそのような人物である。ネタバレを避けるために詳細は避けるが、作者が「ラプラスの魔女」と名付けた通り、この人物は女性であり、なかなか魅力的かつ神秘的に描かれている。この知性が、別の知性と対峙していくことで物語は進んでいく。ミステリであるから殺人事件ではあるのだけれども、動機やトリックについては、理系ミステリ的なフレーバーがかかっている。

ちなみに、本家の「ラプラスの悪魔」の方は、人間の自由意思との対比で論じられたり、量子力学的な非決定論によって否定されたりしている。

あのアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って非決定論を否定して「ラプラスの悪魔」的な神の存在を肯定した。微視的な世界の話に留まらず僕らの世界にバタフライエフェクトが観測されるのを認めるのであれば、やはり「ラプラスの悪魔」は全知の神にはなりえない。

たとえスーパーコンピューター並の知性が、連立微分方程式を一瞬で解いて10秒後の世界を予想したとしても、自由意思をもってノイズとして振る舞う存在のいる限り、その予想が実現される保証はない。

ここに「ラプラスの魔女」の自己矛盾も含まれている。すなわち、彼女自身は、天候も人間の行動も計算できるものとして予測しながらも、自分自身はそういう予想の結果を覆す存在として行動することができる。他人が自由意思を持つのであれば、そういう存在は、連立方程式の不定項として消去できないのではないか。

この辺の自己矛盾はこの作品の展開と関わってくるのでこれ以上は論じないけれども、魔女でありながら、人間臭さを失っていないのがこのヒロインの魅力になっている。スーパーコンピューターは人間に恋をしないだろうし、人間もスーパーコンピューターに恋はしない。でも、読者はこのヒロインに恋をするだろう。

物語は前半スロースタート気味だが、中盤から一気に加速していく。スーパーコンピューターに対して、平凡なスペックのコンピューター達がネットワークによる並列処理によって演算を進めて行くあたりも見所かもしれない。

間違いなく映画かTVドラマ化される作品だと思うし、評判がよければシリーズ化もされていくだろうから、魅力ある女優にヒロインを演じて欲しいと思わずにはいられない。個人的には橋本愛を希望。


ラプラスの魔女

ラプラスの魔女