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『そして父になる』ー僕らはいつまでカツオなのか

岡村ちゃんは歌った。「僕らは子供が育てられるような立派な大人になれるのかなぁ」と。

「ぼくらはサザエさんのカツオである」、と書くと、何だか常見陽平のパクリっぽく聞こえるけれども、声優の永井一郎が亡くなったときに聞かれたのは、「あのバッカモーンが聞けなくなるのは寂しい」というものだった。

僕らはいつまでも誰かに叱ってほしいのであって、誰かを叱りたくないのかもしれない。もしそれを父性と呼ぶのなら、父性を獲得することは容易ではない。それはもしかしたら、いやきっと母性を獲得するよりも難しいだろう。

是枝監督の最新作『そして父になる』は、そんな父性の問題に真正面から切り込んだ快作だ。これまでも『誰も知らない』『歩いても歩いても』で家族とは何かを問うてきた是枝だが、「父親とは何か」を根源から問うのは初めてだと思う。

題材を「病院での子供の取り違え」にしているが、それはあくまで舞台設定に過ぎない。主人公はその事件をきっかけに、妻との関係、父親との関係、仕事と家庭のバランス、自分の中の父性、さまざまなことを見つめる。

自信満々である主人公がこの経験を通じて大きな気付きを得るところがこの映画の最大の見所。是枝監督自身が徹頭徹尾「父になること」を考え抜くいたからこそ、ここまで描けたのだろう。

配役も素晴らしい。完全無欠のイメージの強い福山雅治をこの主役に据えたところに監督の意図が感じられる。スクリーンの前のあなたは大丈夫ですかと。そして福山も期待に応えて演じ切った。終盤の演技の味わいは、俳優としての新境地だと思う。

妻役の尾野真千子も、強い女性を好演。リリーフランキー真木よう子の二人は、もう今の日本の映画界になくてはならない存在で、持味の自然な演技が、是枝流の「あらかじめ台本を渡さない」撮影でさらにリアリティを増している。

僕らは生まれながらの父性は持っていない。急にカツオから波平になれるわけでもない。だが、急がなくてもいい。ゆっくりでいい。「父になる」のには、自分の中に流れる時間と向き合っていけばいいのだから。

エンディングには、グレン・グールドの「ゴルドベルク変奏曲」がゆったりと流れてきた。鼻歌を歌いながら、楽譜のテンポを無視しても内的な時間の赴くままにバッハを弾きこなすグルードのピアノを主題歌に据えたのも、是枝監督のメッセージだろう。

「自分らしく穏やかなスピードで、ときに鼻唄でも歌いながら」父になればいいじゃないか、という。

そういえば、J・S・バッハは「音楽の父」と呼ばれ、実際に多くの子をなした。是枝監督がそこまで考えてバッハを選んだのか、僕の深読みのし過ぎかはわからないけど、とにかく映画として骨太なメッセージに貫かれた傑作だと思う。