僕の記憶が確かなら、かつて僕の生活はお祭りだった。心というが心を開き、酒という酒が振る舞われた。
ある晩、僕は<美女>を膝に坐らせた。―苦々しい奴だと思った。―毒づいてやった。
僕は正義に対して武装した。
僕は逃げた。おぉ、魔女よ、貧困よ、憎しみよ、僕の宝が預けられたのは君らだ!
(ランボオ『地獄の季節』)
人間の心には闇がある。大人になってそれを他者に向けるのはごく例外的になるが、子供のときには、その闇が加減をせずに他者に向けて発揮され、学校という閉鎖的な空間の中で、暴力的なまでに極限まで増幅されることがある。
たとえば、いじめ。
同質化圧力や、隠蔽体質など、日本の社会が根底に有している文化と親和性が高いがゆえにいじめはなくなることはなさそうだ。たとえ政府がキャンペーンを張っても、自殺する生徒・児童のニュースは後を絶たない。この2014年に入っても。
さて、『聲の形』は聴覚の障害によっていじめを受けるようになった小学生・硝子がヒロインである。そんな彼女をいじめた主人公の将也はやがて自身がいじめの対象になる。親をも巻き込んで対峙した二人は、転校によって別れたかに見えたが、やがて時を経て…
心の闇を描いたコミックはいろいろある。最近では『惡の華』が突出しているかもしれない。あの作品はまさにダークサイドの描写一辺倒であり、それゆえに独自の境地に達している、だが、この作品は、子どもの持っている恐ろしさを美化せずに描いた上で、時間を経過することによって、過去の行為を見つめなおして償おうとすることで、人間の光と闇を描いたものになっている。
人と人との関係は、闇に終わるかもしれない。でも、光に転じる可能性もある。大人になったときに僕らはそのことに気付く。だが、時間を遡ってやり直すことはできない。別れた人に会うことも容易ではない。
しかし、もし、ひどいことをして気まずいままに別れた人に、後で偶然再会することができたなら僕らは何をできるだろうか―その答を見つけられそうな作品だ。
- 作者: 大今良時
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: コミック
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