11/16のナンバタタンをきっかけにtofubeatsの「LOST DECADE」ずっと聴いている。
ドキドキしたいなら これを
ワクワクする瞬間 このときを
わすれないで わすれないで
あの楽しかったライブのアンコールの場面。南波志帆。タルトタタン。Negicco。そして僕。その瞬間を反芻しながら考えた。
偶然に人と人が出会って、響き合って、やがて離れて行く。でも、それは虚しいことじゃなくて、きっと意味がある。僕らはその無数の繰り返しの中に生きている、と。
今日、tofubeatsのインタビューを読んで、彼自身も同じような思いを持っていることを知った。
――でも、そういう「失われた」という言葉の響きだけから言うわけじゃないんだけど、基本tofubeatsさんの作る音楽って、「終わることがわかってるけど、だからこそ楽しい」みたいな感覚があると思うんです。それはどういうところから出てきたんだと思います?
(tofubeats)
なんか、そういうのが好きなんですよ。ドラマの最終回とか、演劇のラストとか。2時間ぐらいやって、泣いて終わって、「ああ、よかったぁ」とか思ってたら明るい音楽が流れてきて「ありがとうございました!」って役者がカーテンコールで出てくるじゃないですか。ああいうのが、なんでかわからないけど好きで。
――クラブミュージックにもそういう感覚ってありますよね。
(tofubeats)
クラブ自体がそうですよね。夜通し盛り上がって、終わったらみんな何もなかったように解散していく。その流れ自体が好きなんです。例えば映画のエンドロールが流れるときの音楽とか、そういう構造を持ったものをやりたいというのがずっとあって。諸行無常みたいな考え方なのかもしれない。楽しい時間は絶対終わるし、終わってほしい。それが終わるときが何より気持ちいいっていう感じがあるんですよ。
(インタヴュー | tofubeats)
そう。楽しい時間は終わる。絶対に終わる。でも、終わるからこそ、いいんだ。