忘却は優しい―『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』

消える世界にも わたしの場所がある
それを知らない 自分でさえも
思い出すまでは…
(「優しい忘却」茅原実里―映画『涼宮ハルヒの消失』ED

・・・・・・バゼット、世界は続いている。
瀕死寸前であろうが断末魔にのたうちまわろうが、
今もこうして生きている。
それを―――――希望がないと、おまえは笑うのか
(「Fate/hollow ataraxia」アンリマユの言葉)

『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』を観てきた。ネタバレなしで感想を残しておく。

ストーリーは虚淵玄らしいダークさ全開であった。まるで歌舞伎の「白浪五人男」のような「魔法五人娘」というか、もろにプリキュアのような冒頭から、プロットを積み重ねて暗転していぶっちーワールド。だが、TV版のようなセンス・オブ・ワンダーは乏しかった。

冒頭の展開から「あれ?」という疑問が頭を離れない。「ヱヴァQ」と同じだ。勘のいい人は、この「世界」がどういうものなのか、前作との関係は何なのか、過去の作品をもとにあれこれと類推するだろう。いくつかミスディレクションを置いてはいるものの、アニオタであれば、Fateシリーズのアレや、ハルヒシリーズのアレを思い浮かべるはず。その後の展開はここには記さずにおくが、そういう類推を呼び込む時点でネタバレは避けがたく、「まどマギの新作!」ということで過度に期待すると、インパクトが弱いと感じるかもしれない。

その代わり、というべきかどうか分からないが、キャラ萌え成分は強目。あちこちがレベルアップしてカメラの前でサービス精神を発揮しまくるマミさん(言い換えれば、「お色気要員」の仕事を全力でしているということ)。そして、今回も杏さやの絆の強さは不滅。杏子のツンデレな感じは平常運転だが、この作品はさやかこそ輝いている。もう「ざんねん」とは言う人はいないと思う。そして、冷徹で理知的なキュゥべえ、包容力溢れる無垢なまどか。

では、ほむらはどうか。まどマギの真の主人公であるほむらは、どこまでも孤独。TV版でも黒い羽の生えるほむらが描かれたが、あのイメージを深く掘っていく感じ。ゴスロリを着せた人、グッジョブ。孤高の強さに似つかわしい服装だ(しかし、ショップにそのゴスロリほむほむグッズを置いてないとはどういうことか)。

最後に、美術的には、シャフトというよりも劇団イヌカレー色が濃厚。「仮面ライダー龍騎」で言えば、ミラーワールドの中の話が中心なのだから止むを得ないが、シャフト的な光と影のアートを期待すると、これも欲求不満で終わりそう。もちろん、イヌカレーはイヌカレーで素晴らしいのだけど。

ということで、全体としては、TV版まどマギが見せてくれた骨太な「物語」を求めた僕の期待には、十分には応えてくれなかった。平均的なまどマギファンのニーズに応えているのかどうかは分からない。

総じて、まどマギというコンテンツのマネタイズとしては、今回の劇場版が最後の花火になるだろう。東日本大震災の記憶とともに神格化された作品だが、本来はそれほど世界観の広がるような性質の作品ではない。というか、広げすぎると、どこかの新興宗教の映画と区別がつかなくなる。今回も危なかったけど。ちなみに、エンディングは賛否両論というのが世の評価だが、僕にとっては、それ以前の作品だった。視聴者を置いてきぼりにしないという点でヱヴァQよりは上だけど。