『緒川たまき―1997』には最近の写真が失っているものがある

このたび香港に行くことになったので、クリストファー・ドイル緒川たまきを撮った傑作『緒川たまき―1997』を引っ張り出してきて、予習(何の予習なのか分からないけど)。

1997年は言わずと知れた香港返還の年。香港らしさが失われるのではないかという懸念もあったけれども、そんな心配をよそにますます勢いを増したというのが実態ではないかと思う。というか、日本の方こそ、そんな心配をしている余裕がない十数年だった。

この写真集では、香港という都市の持つ猥雑さを背景に、緒川たまきの可憐さが重なっていて、まるで多重露光の写真のように、彼女の持つ美しさを浮かび上がらせる結果となっている。クリストファー・ドイルの切り取る光景はときに抽象的すぎる気もするが、それも不思議なパワーを生み出しているように見える。

しかし、こういうフィルム時代の写真集を鑑賞していると、高感度のノイズとか、スローシャッターによるブレとか、ピントの外れとか、そういったものを適切に取り入れることによって、作品に力を与えることが分かる。これこそ、デジカメが高性能になるのと引き換えに、最近の写真が失っているものではないかと思う。性能テストの作例みたいな写真にはもううんざり。

ということで、緒川たまきのようなモデルがいるわけではないけれど、そして、クリストファー・ドイルのような味のある写真が撮れるかどうか分からないけれど、香港ではイメージを膨らませてみようと思う。

緒川たまき―1997

緒川たまき―1997