サブカルの「サブ」は、サブプライムの「サブ」と同じで「下位」という意味。自分の好きなものが「サブ」と言われるのはどうなんだろう。「サブっていうな」と思うか、それとも「サブ上等」と思うか。
はてなで「サブカル女とは」というページがあった。悪意を感じる。もしかしたら自虐もあるのかもしれない。一部を抜粋するとこんな感じ。
- 趣味が一眼レフ
- ARATAや加瀬亮が好き
- 「歌詞の世界観が…」とか言う
- 映画を一人で観に行く
- 大阪より京都好き
- ブログがあえて理解できないような文章で構成されている
やばい。やばい。まじやばすぎる。
でも、この程度で冷や汗かくなんてまだかわいい方だ。渋谷直角のコミック『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』を読んだら、眩暈がしてくることは間違いない。内容はこんな感じ。
「カフェでよくかかってるJ-POPのボサノヴァを歌う女の一生」
「ダウンタウン以外の芸人を基本認めていないお笑いマニアの楽園」
「空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガーの恋」
「口の上手い売れっ子のライター/編集者に仕事も女も全部持ってかれる漫画」
「まあ、自分も共通点もあるけど決定的に違うよな、だって…」と思った時点で、自意識過剰である。この本の帯の言葉を借りれば「サブカル糞野郎」だ。「自意識の不良債権を背負ったすべての男女」の仲間入りだ。
絵が上手くないとか、品がないとか、身もふたもないとか、読んでいるといたたまれなくなるとか、作者の悪意を感じるとか、どちらかといえばネガティヴな感情を惹起する本だ。この点、万人にお勧めすることはできない種類の作品だと思う。特に、30代半ばから40代半ばの人の中には、毒成分の直撃を受けて再起不能レベルのダメージを負う人もいるかもしれない。
だが、自意識過剰こじらせてる人にとっては、どうしても気になる、無視できない作品であることは間違いない。たとえば、4月から欠かさず「あまちゃん」観て、こんなtweetしているような人には。
「あまちゃん」は、普通の女の子が輝きたいと願うところから始まり、周囲が一体となって彼女を最高に輝かせるところまできた。最後の1ヶ月は、その輝きが何を照らすことができるかが描かれるだろう。
うわ…自分だけどね。
早めに読んで、傷付いて、乗り越えることが大事。そんな本だった。
カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生
- 作者: 渋谷直角
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2013/07/30
- メディア: 単行本
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