盛者必衰―『華麗なるギャツビー』

盛者必衰の理。それは何も日本文学の専売特許ではない。アメリカには『華麗なるギャツビー』がある。F・スコット・フィッツジェラルドがそこで描いたのは滅びの美学だ。そう思う。

ということで、バズ・ラーマン版の『華麗なるギャツビー』を観た。『ロミオ+ジュリエット』や『ムーランルージュ』で、豪華絢爛な画面と、高速ズーム、そして時代設定を無視したダンスミュージックで、観客を魅力したバズ・ラーマン監督がどのような映像を見せてくれるのか。わくわくしながら劇場に向かった。

主人公のギャツビーを演じるのは、レオナルド・ディカプリオ。かつてロミオを演じたときの華奢な感じこそなくなったが、好きになった女性を想う一途な態度、侮辱された相手に対する怒りを抑えきれずに迸る衝動、そして怪しいビジネスで綱渡りする豪胆さ。どれを取っても、ディカプリオ以外に説得力をもって演じられる俳優はいないのではないかと感じた。

狂言回しはトビー・マグワイヤ演じるニック。彼の回想で物語は始まり、そして彼のタイプライターで作品になったところで終わる。この構成は『ムーランルージュ』と全く同じ。作家のような線の細い雰囲気もユアン・マグレガーとどこか重なる。押しは弱いが誠実なキャラクターは、まさトビーに打ってつけ。当たり役だった『スパイダーマン』シリーズが一新されて心配していたが、澄み切った演技を見せてくれた。

ヒロインのデイジーを演じるのは、キャリー・マリガン。『わたしを離さないで』での悲劇的な演技が印象的だったが、今回も女性の強さと弱さを見せてくれる。日本人受けする親しみやすさをもった俳優だとは思うが、個人的には、『ムーランルージュ』のときのニコール・キッドマンのような神がかった美しさがスクリーンには現れていないように感じた。撮影スタッフが変わったのかもしれない。

ストーリー自体は有名はものなので省略するが、謎めいたギャツビーが、あるきっかけからニックに心を開き、最後には、ニックだけが友達として残るというもの。通奏低音のように「滅び」の雰囲気が作品を支配するが、前半は、好景気に沸いていた時期だけに、パーティの場面一つを取っても、豪華絢爛。これぞバズ・ラーマンという映像美。

だが、後半になって一転して悲しいトーンが支配的になると、画面は一気にくすみ始める。それは監督の狙い通りなんだろう。だが、『ロミオ+ジュリエット』や『ムーランルージュ』では、主要人物の死や葬儀は、とても美しく描かれていたことを思い起こすと、もう少し耽美的な画面を見せてくれてもよかったのではないかと思う。

バズ・ラーマンらしい作品に仕上がってはいるが、この原作をここまで忠実に映画化しなくてはいけなかったのかには疑問が残る。前半、もう少しド派手に明るく。後半は、打って変わってシックに。そんな感じでメリハリを付けた展開が見られたら、もっと印象に残った作品になったはず。