NTR小説として読む―『他人の顔』

NTRは「寝取られ」の略語である。Wikipediaによれば「自分の好きな異性が他の者と性的関係になる状況・そのような状況に性的興奮を覚える嗜好」ということだ。最近の流行でもある。

『他人の顔』は、火傷で自分の顔を失った主人公が「他人の顔」をコピーした仮面を作り、それで妻を寝取る話である。すなわち、仮面をかぶって他人になった主人公は、寝取る立場であり、仮面の下の本人は、寝取られる立場となる。

寝取る/寝取られるの関係で言えば、その両方を同時に味わうのであるから、安部公房の倒錯もここに極まれり、という感じがする。しかしながら、この倒錯は、21世紀の流行に通じるのであるから、彼の先見性は際立っていると言わざるを得ない。慧眼、というよりも、早く生まれすぎた天才、というべきであろう。

ただ、この作品が傑作として名声を確立するに至っていないのは、そのバランスの悪さゆえであろう。自らの顔を失い、成功な仮面の制作を模索する主人公の独白が延々と続いているのに、終盤の「寝取り/寝取られ」をめぐる描写が極端に少ない。終盤に向けて力尽きてしまったのかと思わせるくらい。ということで、NTR小説としては、やや物足りないという評価になるだろう。

安部公房はこれで4冊目。箱の中に入って匿名性を確保したり、他人の顔を付けて別人になりすましたりと、安部公房が先鋭的に抱えていた問題意識は、インターネットが当たり前の時代になって俄然現実味を増したようにと思う。いまこそ読むべき作家ではないかと改めて思った。

他人の顔 (新潮文庫)

他人の顔 (新潮文庫)