『壁―S・カルマ氏の犯罪』

もし固く高い壁と、それにぶつかって壊れてしまう卵があったら、私は卵の立場に立ちます。なぜなら、私たち人間は皆システムという高い壁に直面している卵だからです。私たち卵は、システムという壁に身をゆだねてもいけません。私たちがそのシステムを作ったのですから。
村上春樹の「エルサレム賞」の授賞式での記念講演より)

壁とは、非人間性の象徴である。


砂の女』がある種の大衆性を獲得しているとすれば、『壁―S・カルマ氏の犯罪』の方は前衛性を備えた小説である。

ある朝、目を覚ますとぼくは自分の名前を失ってしまったことに気づいた。身分証明書を見てみても名前の部分だけ消えていた。
(『壁―S・カルマ氏の犯罪』)

ある朝突然虫になっているグレゴール・ザムザや、ある日突然逮捕されるヨーゼフ・Kと同じように、S・カルマ氏は不条理な形で人間性を喪失している。

S・カルマ氏は人間性を取り戻すことを望むかと思いきや、さにあらず。自分らしさを求め、自分を理解してくれる存在を求めていくと、彼にとっては、元の彼に戻ることではなく、新しい世界で、新しい仲間に囲まれ、新しい自分になることこそが幸福であるように思われる。

社会が非人間的なものであれば、どうしてそこに合わせる必要があろうか。むしろ、自分が生きていける別の場所を見つければいいではないか。

こうして彼は人間であることを止め、壁になっていく。通常であれば、壁は疎外の象徴である。しかし、社会から疎外されていく先に、壁になることで見い出せる幸福がある。安部公房がこの作品で示しているのは、そうした皮肉なんだろう。

カフカ安部公房村上春樹。こうした系譜に位置付けて読むことで、さまざまな考察を呼び起こす作品だと思う。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)