希望という名の―『GUNSLINGER GIRL(15)』

“I think we’ll be ok here, Leon.”
「これで安心よ、レオン」
(『レオン』)

最終巻を読了。文句なしの傑作。相田裕の才能に感服。
当初、銃を持った少女がフラテッロとペアを組んで戦うという、ある意味で「オタク」にとってご都合主義的設定の作品が、これほどまでの傑作になるとは誰が予想しただろうか。
(以下、ネタバレあり)

前巻でクライマックスを迎えた「福祉公社vs五共和国派」の戦いは、双方に甚大な被害を残しながらも終結に向かう。戦死したヘンリエッタ×ジョゼ組、そしてトリエラ×ヒルシャー組。彼女達は寄り添うように亡くなっていて使命を真っ当したかのように見える。

そして、背後に暗躍する政治の力学は、テロリストの撲滅の流れから、公社の存続を認めない方向に一気に働き始める。そこに立ちはだかるのは、生き残ったリコでもペトルーシュカでもない。植物を育てることが好きで、読書が好きで、音楽が好きなクラエス。「眼鏡をしているときはおとなしいクラエスでいること」を約束しているクラエスの想いが、公社を攻撃しようとする政府軍を抑えたのだ。

結果的に公社は秘密裏に解体され、義体の彼女達も任務を解かれる。リコもペトルーシュカもやがて寿命を全うする。予想通り、最後に残ったのはクラエスであり、彼女こそがこの物語の幕引きとなる語り部…となるかと思われた。

だが、最終章に、作者は実にうれしい形で読者を裏切ってくれる。ある義体の生命を受け継ぐものが、未来を生きるのだ。戦いとも動機付けとも無縁な素晴らしい未来を。

前巻の感想で僕は書いた。「クラエスこそが、この物語の「語り部」として最後の場面で登場するのではないだろうか」と。「義体の儚さは人間の儚さと大差ない」と。そして、こうも書いた。「僕たちの記憶もやがて消えてゆく。雨の中の涙のように。」(雨の中の涙のように―『GUNSLINGER GIRL(14)』 - Sharpのアンシャープ日記

そんな「諸行無常」的世界観だけではなく、未来に確かに残るものを相田裕は残してくれた。レオンが持っていた観葉植物を大地に植えて「これで安心よ、レオン」と呟いたマチルダのように、確かに根を下ろして着実に成長するものを、僕らはこの作品の最後に観ることが出来た。それは、希望という名の生命だと言っても良いだろう。

もうこれ以上の終わり方はなく、これ意外の余韻の残し方はない、という位に満足のできる最終巻だった。

ありがとう『GUNSLINGER GIRL』、ありがとう相田裕

GUNSLINGER GIRL(15) with Libretto!II (電撃コミックス)

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