不正や悪のないシステムは存在しない

不正や悪はどこにでも存在しうる。大切なことは、不正や悪のあったときに、それがきちんと検出され、罰せられ、再発防止策が講じられる仕組みを用意することだ。反対に、最悪なのは、「あってはならない」という掛け声の下に、その存在が隠蔽されることである。

大津市の中学生自殺事件で明らかになりつつあるのは、学校や教育委員会には、不正や悪を隠蔽するという誘引が働くということだ。「いじめのない学校を目指そう」という目標を掲げること自体は良い。だが、いかに学校であろうと、生徒の一挙手一投足を束縛することができない以上、いじめは起きうる。それが「いじめはない」あるいは「いじめはなかった」に容易にすり替わることこそが問題なのだ。

金融市場の世界では、こうした不正や悪を発見し、不正や悪を為したものを罰する仕組みができている。代表的なものとしては、日本の市場における「証券取引等監視委員会」の存在が挙げられる。「自由、公正で透明、健全な証券市場の実現」を基本的目標として掲げて、検査・監視活動を行い、一般からも「情報の提供」を受け付けている。

これは、かつての証券不祥事の反省を踏まえて設けられた委員会だ。委員会の設立後も、インサイダー取引等の不正取引がなくなることはない。最近報じられているように、公募増資にかかるインサイダー取引の摘発事例は後を絶たずに発生している。だが、徹底的に暴かれて、罰せられることによって、「不正や悪は報われない」というメッセージが発せられている。

これは何も日本の一部に限られた問題でもない。目下、イギリスでメスの入っているLIBOR不正疑惑を見る限り、透明性の高いはずの欧州の市場のど真ん中においてさえも不正は起きる。繰り返しになるが、必要なのは、不正や悪の「発生しない」システムを作ることではなく、「見逃さない」仕組みを整えることだ。

「あってはならないもので、実際にも存在しなかった」という組織的な隠蔽を起こさないようにすること。学校の内部でそれができないのであれば、外部の機関の力を使ってでも、そして、広く情報の提供を得てでも、徹底的に検出され調査されることこそが必要だ。「決して隠蔽されない」というシステムの信頼感だけが、不正や悪を為すものによる被害者に希望を与えることができるのだと思う。