優れたSF作品―『第9地区』

『第9地区』を観た。

第82回アカデミー賞ノミネート作品の中では『ハートロッカー』と『アバター』の激戦に目を奪われて目立たない存在だが、優れたSF作品だと思う。

公式サイト:映画「第9地区」オフィシャルサイト

優れたSF、と一言で言っても、現代の科学技術を基礎に精緻な将来予想をしたもの、奇想天外な設定によるもの、時間的空間的なスケールの大きさで魅せるものなど様々なタイプがある。『第9地区』は、「人類」や「文明」というものを改めて相対的な視点から見せてくれるというところが秀逸だ。

宇宙船が地球に到来してエイリアンが上陸するという形式こそSFとなっているものの、全面戦争にも友好的なコンタクトにも至らない。人間から見たエイリアンの「生理的な気持ち悪さ」がベースとなり、相互不信や無理解、そして日常の中でのちょっとした行き違いが武力行使にまでエスカレートさせることなどが描かれる。

そう。これは「地球人と宇宙人の間の異文化の衝突」という形を取っているものの、人種間・宗教間・文明間の衝突に対する比喩になっている。舞台が南ア(ヨハネスブルク)であり、隔離政策が物語の中心となっていることから、これを観るものは白人と黒人の関係を念頭に置かざるを得なくなる。

その態度は実に謙虚で真摯なものだ。主人公が途中からある事情でエイリアン側に近づくことで、人間の側の偏見や高慢さが浮き彫りになる。『ハートロッカー』が「どんな事情が背景にあれ、そこに爆弾のある限りそれを処理するのが俺の使命」という視野狭窄的なカメラワークに徹したのに対して、『第9地区』は問いかける。その見方は一面的ではないか、不都合な情報がカットされてはいないか、過度に演出的ではないかと。これは、冒頭部分が「TV番組の取材」に形を借りてカメラフレームが示されることで、より明確になる。

では、異文化の側に歩み寄る主人公という観点で、『アバター』と似ているのではないかというと、それもまた違う。『アバター』の場合には、確かに主人公は後半は異星人の側に立つのだがそれでも「上から目線」、つまり「金儲けに目がくらんだ地球の餌食になる君たちの文明を、俺が体を張った戦いで守る!」というものになってしまっている。歩み寄ったように見えて、「このままでは滅んでしまう貴重な文明を守る」という優越感を捨て切れていないのだ。また、それを「武力による戦い」で実現しようとしているところが、根本的に間違ったアプローチである。すなわち、「戦わない」という価値を、戦いによって勝ち取ろうという自己矛盾を起こしている。

『第9地区』の場合は、主人公はあるSF的な体験を経ることにより、視野狭窄から解き放たれ、優越感を持つことを放棄させられる。こうした主人公の視野の転換を、映画の鑑賞者は同じように、同じ目線で味わうことができるという意味で、「センス・オブ・ワンダー」に満ちた作品だ。映画の後半はまさに怒涛の展開で、まったく予断を許さない。

痛快アクションを求める向きには全く合わないし、SF的なお金のかかった映像美もほとんどないに等しい。評価によっては「B級」といわれるかもしれない。だが、僕にとって『第9地区』は、『ハートロッカー』よりも『アバター』よりも「見てよかった」と思わせる作品だった。ただ、エイリアンの描写等で万人受けしないところもあり、「誰にでも勧められる」かというと、ちょっと悩んでしまうのだけれども。

第9地区 [Blu-ray]

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