シカゴ学派は完全市場の夢を見る―『ショック・ドクトリン』

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
村上春樹風の歌を聴け』)

そう。完全な人間など存在しないし、完全な社会など存在しないし、完全な政府など存在しない。だが、シカゴ学派は、完全な市場の夢を見ている。

惨事が起きて既存のものが壊れたとき、シカゴ学派は「白紙に絵を書く」ように、新しい原理を導入してきた。南米で、ロシアで、アジアで、そしてもちろん中東で。だが、その結果として実現したものは、理想の市場でもなんでもない。権力の腐敗であり、貧富の差の拡大であり、終わることのない内戦だ。

個人的には、こうした歴史は、シカゴ学派が、モデルの単純化のための「仮定」を「理想」と混同した結果が生んだ悲劇だと思う。

何かが壊れたときに、新しいものを作ろうとする。その試みが否定されるものではない。だが、惨事の後の間隙を突いて、規制撤廃や民営化が叫ばれ、その結果暴利を貪る人達が出てくるという歴史を、ナオミ・クラインは本書で描いた。600ページを越える大書だが、読んでいて飽きることはない。

いまの日本でも「国債が暴落する」「格付会社が格下げした」「だから増税すべし」というような惨事便乗型の言説が跋扈していることは事実。日本の財務省は必ずしもシカゴ学派の影響下にはないが、情報を操作して危機をコントロールして自らに有利に状況を運ぼうとしているところは、ナオミ・クラインの挙げたケースに共通している。

しかし、日本の官僚は、自分たちが状況をコントロールしていると思っているつもりでいるのだろうが、結果的にアメリカにコントロールされてしまっていることに気付いていないのだろうか。