時は貨幣なり―『TIME』

"Time is Money"
(Benjamin Franklin)

時は金なり。いまさらそんなことは分かっている。だが言葉の本当の意味で「時間が貨幣になる」とすれば、世界はどんな風景になるだろうか―そんな発想から生まれたSF映画。邦題は『TIME』だが、原題は『IN TIME』。以下ネタバレ。

25歳で肉体の変化が止まり、それと同時に腕に刻まれたデジタル時計が「余命」を表す。人間の活動は、労働においても、犯罪においても、交渉においても、全て「余命」の取引になる。この発想は面白い。

だが、SF好きの自分にとっても、途中の展開はあまりに退屈だ。スラム出身の主人公が、富豪の娘と恋におちて、半ば彼女を誘拐する格好で逃避行。スラムの人が文字通りその日を生きるのに精一杯な一方、不必要なまでに時間を溜め込んでいるという不平等を解消すべきだというのが主人公の信条。これって、昨年あたりにアメリカのウォール街を騒がせた「1%対99%」の図式そのもの。時間版の格差社会。なんのことはない。「富の集中」に対する批判が、「時間」に形を変えているだけ。もちろんあのデモよりも映画の制作の方が早いのだろうけど、なんのひねりもない主張にちょっとがっかり。

さらにがっかりするのはその先の展開。こうした「時間の集中」を解消して、スラム街の人にも広く時間を再配分しようという主人公の信条に対して、彼女の方もいつしか共感するようになる。そして、自分の父親に対して「身代金」を要求することに加担するようになる。

いやあ、これも既視感ありあり。ストックホルム症候群の代表的な事例とされている「パトリシア・ハースト誘拐事件」そのものだ。となると、銀行強盗をするだろうなという展開も読めてしまい、その予想通りの展開となって、これまたちょっとがっかり。なぜ有名な事件のプロットをそのままなぞるのか。

主人公とヒロインは、強奪した時間を貧民に配分していく。その姿はまるで「ボニー&クライド」のようにスタイリッシュだ。だが、エンディングに至っても、何ら抜本的な解決はなされず、二人の行く末もはっきりとは描かれない。いくらB級SF映画といっても、発想勝負だけではつらいと言わざるを得ない。もしかしたら良作になったかもしれないだけに、展開の安易さと、中途半端なエンディングが残念。

キャスティングは「25歳で外見の成長が止まる」という設定から若手の美男美女揃いで、画面も実に華やか。主人公のジャスティン・ティンバーレイクは細身のスーツを着こなしてスタイリッシュ。ただ、演技の深みは今後の成長に期待。ヒロインのアマンダ・サイフリッドはショートボブの個性的な髪型で存在感を示していた。が、作品のイメージからするとちょっと肉感的過ぎると言ったら欲張りすぎだろうか。

ガタカ』のアンドリュー・ニコルが監督・脚本ということで過大な期待を抱いてしまったが、個人的には『ガタカ』の方に軍配を上げたい。