プラド美術館所蔵「ゴヤ―光と影」

国立西洋美術館の「ゴヤ―光と影」を観た。

公式サイト:Goya2011.com

画家としてのゴヤの生涯は確かに「光と影」という言葉が相応しい。宮廷画家として数々の肖像画を残した「光」の部分と、戦争の悲惨さや教会の腐敗等を批判的な精神で描いた「影」の部分と。

今回、プラド美術館から日本に来て展示されている中で、「光」の代表作は『着衣のマハ』であり、「影」の代表作は『魔女たちの飛翔』だと言えると思う。どちらが好きかはもちろん人それぞれだと思うが、両方をじっくりと眺めた結果、個人的には『魔女たちの飛翔』の不気味さに軍配を上げたいと思う。

ゴヤの「影」の作品群としては『我が子を食らうサトゥルヌス』に象徴されるような「黒い絵シリーズ」があるが、どうも保存上の理由で海外への貸与はしていないらしい。となるとあれを見に行くにはスペインに行くしかない。また、有名だった『巨人』は、2009年に「弟子の作品である」と断定された。こういう事情をを思うと、ゴヤの作品123点を東京で一気に堪能できる今回の作品展は貴重だと思う。たとえ、『裸のマハ』が観れなくても。また、素描が多く、絢爛豪華な油絵が少なめだとしても。

しかしながら、今回ゴヤの作品を一気に鑑賞して好きになったかというと、実はそうでもない。当時のスペインの美意識と、いまの日本の美意識の間にはそれなりに大きな距離があるからかもしれない。たとえば、ブームになっているフェルメールや、根強い人気を誇る印象派の画家達のように、ゴヤの作品が支持されるような気はしない。自分としても作品にそこまで夢中になれるとは思わない。

だが、ゴヤの「影」の部分に隠しようもなく現れている「批判精神」や「皮肉」は、我々が近代化の過程で獲得したものに他ならない。宮廷画家という「光」ある地位にありながら、「影」に取り付かれたゴヤという人間は興味深い。「彼の心の闇というのはどういうものだったのだろう」と、ゴヤの自画像を眺めながら想いを馳せるのが、実は「光と影」というサブタイトルに最も相応しい鑑賞態度なのかもしれない。

『ゴヤ―光と影』は国立西洋美術館にて2012年1月29日まで。