死者は「願い」を通じて生きている人を動かす―『あの花』最終話

(ネタバレあり)

間違いなく「当たり」だった。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の放送開始前のエントリで僕はこう書いた。

ノイタミナ特有の文学的な香りがする。ただ、ノイタミナは当たり外れもはっきりしているけど、これはどっちかな。
2011年春アニメ - Sharpのアンシャープ日記

今日の最終回を観て、この作品は文句なしの「当たり」だと思った。そして、とても文学的でもあったと。

じんたんは過去と向かい合い、「超平和バスターズ」の仲間と一緒に自分たちを見つめ抜き、真の友が誰かを知る。これこそが「成長する」ということの意味だ。以前のエントリーで『花咲くいろは』との対比で書いた通り。

過去と向かい合う『あの花』。未来を切り拓いていく『花いろ』…
どこまでも対照的ゆえに、まるで背中合わせの双子のような一対の作品のように思えてくる。両方とも、最終的には、主人公が自分を見つめ抜き、真の友を得て、成長した結果希望がもたらされるであろうと思われるところも。
二つのマリー―『あの花』と『花いろ』 - Sharpのアンシャープ日記

最終回。めんまは最後に「超平和バスターズ」の前に姿を現し、誰もが自分の本当の心情を吐露して、想いをめんまに伝えることができた。めんまは成仏した。あるいは何かに生まれ変わったのかもしれない。だが、本当に「生まれ変わった」のは、生きている平和バスターズのメンバーの方だ。じんたんとあなるは学校に戻り、ゆきあつとつるこはお互いに適度な距離を見つけ、ぽっぽは働きながらも学業への道を志す。

―死者は「願い」を通じて生きている人を動かす―

これが、『あの花』のテーマだった。動かし方はいろいろある。過去に留めることも前に進めることもできる。
めんまは「超平和バスターズ」のみんなを前に進めた。
僕らも前に進める。大人になるというのは、そういうことだ。

じんたん(CV:入野自由)の素晴らしいモノローグでこの作品は締めくくられる。

俺たちは大人になっていく
どんどん通り過ぎる季節に道端に咲く花も移り変わっていく
あの季節に咲いた花は何て名前だったんだろう?
小さく揺れて触れればちくりと痛くて鼻を近づければわずかに青い日なたの香りがした
次第に あの香りは薄れていく
俺たちは 大人になっていく
だけどあの花はきっと どこかに咲き続けてる
そうだ
俺たちは いつまでもあの花の願いをかなえ続けてく

ありがとう、『あの花』。
大好きだよ、『あの花』。