全能感と無力感―『FLCL』

「マリは俺の嫁」と公言しているのに、今日まで『FLCL』を観ていませんでした! 鶴巻和哉監督、ごめんなさい!

今回、全6話を一気に鑑賞。あー、このハル子の躍動感ある動きとか、歪んだギターサウンドとの絶妙な連動とか、語尾に「にゃ」をつけるセリフとか、これは確かに『ヱヴァ』のマリの原型かもしれないにゃ。

この作品は『新世紀エヴァンゲリオン』、『彼氏彼女の事情』に続くガイナックスのオリジナル作品にして、鶴巻和哉の初監督作品。だが、OVAということで観る機会がなかなかなかった。Amazon.comでBDを買ったのを機会に鑑賞したが、ああ、これはもうちょっと早く観ればよかった。そして、もっと若いときに観ればよかったと。「FLCLフリクリ)」は、「Fooly,Cooly」ということらしい。もっとFoolで、もっとCoolな頃に観ておけば、人生変わったかもしれない。

さて、本題。この作品が何を描いているのかを語るのは難しい。人によって意見も違うだろうと思う。だが、僕の受け止め方としては、これは思春期のモヤモヤを描いたものだ。「思春期」といっても、 主人公のナオ太は小学校6年生。エヴァのチルドレンよりもさらに若い。

世間を知らないゆえに、全能感と無力感が絶妙にブレンドされている年頃。自分はその気になりさえすれば何でもできると思う年頃のナオ太の前に、ハル子はまったく理解不能な存在として現れ、世界をひっかき回していく。しかもものすごいパワーで。最終的に理解しあえることもないままに、彼女は去る。主人公は置いてきぼり。当たり前だ。向こうは大人。こっちは子供。でも、だからどうした? それで少年は成長するのだ。

ガイナックス特有のパースの効いたダイナミックな動きに加え、マンガのコマを画面に写す等というような前衛的な手法も組み合わせ。王道アニメのポイントは抑えつつ、実験的な取り組みを行っているあたりも見所(個人的にはアイデアに技術が追いついていないような気もする)。