君と世界の戦い―『ソルト』

「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」
"Im Kampf zwischen dir und der Welt sekundiere der Welt."
フランツ・カフカ

カフカの警告にもかかわらず、僕らは世界との戦いに憧れる。中学二年生の頃はもちろん、大人になった今でも。この作品では、主人公であるイヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)が、所属していたCIAの組織を敵に回して、スクリーン狭しと暴れまくる。さて、そんな彼女は僕らの目にどう映るか。

残念なことに、この設定には大いに既視感がある。そう、マット・デイモン主演の『ボーン・アイデンティティ』シリーズだ。完璧とも言えるプロのスパイが、組織の論理よりも個人の信念や直感を優先し、それが結果的に大義を貫くことになる。ソルトが反旗を翻すCIAは、今回もダメダメな組織として描かれている。フィリップ・ノリス監督にとっては、20年近く前の作品『今そこにある危機』の頃とほとんど変わらない。現実のCIAがどのようなものかは分からないが、そろそろ陳腐な設定に思えてくる。

では、この女性版ジェイソン・ボーンは結局成功しているのか。ジェイソン・ボーンが「自分は何者なのか、自分はなぜ狙われるのか」という疑問を持ち、それゆえに事件に巻き込まれながらも、そこから相手を追い詰めていくのに比べると、イヴリン・ソルトという人間はよく分からないままだ。どんでん返しに続くどんでん返しだが、なぜ世界を敵に回すかという内面の奥底が理解できないのだ。謎めいている、というよりも、設定が甘いと思わざるを得ない。エンディングを見るに、続編の製作を意識しているようだし、あわよくば、シリーズ化を狙っているのかもしれない。3作目あたりで彼女の真相を明かせばいいと思っているのかもしれない。もしそうなら、その試みは失敗していると思う。

僕らは世界との戦いに憧れている。それは事実だ。だが、それは世界と戦う理由がはっきりしている場合だけ。「大切な人を守る」でもいい。「悪を倒す」でもいい。しかし、イヴリン・ソルトは、何のために戦うのか、それが分からない。この点をきちんと説明してくれないと、僕は快哉を叫ぶことはできない。続編を待つほど熱狂もできない。

アンジェリーナ・ジョリーも『チェンジリング』で新境地を拓いたと思っていたのに、またこのアクション路線に戻ってしまうとは少々残念な気がする。確かにアクションは文句なしにクールで格好良い。この作品では当初トム・クルーズが想定されていたらしいが、トムよりはアンジェだ。圧倒的に。このクールさはどうやってもトムには出せない味だ(トムはキャメロンと『ナイト・アンド・デイ』にでも出演しているのがお似合いだ)。しかし、みんなこういうクールなアンジェのアクションが見たいのだろうか。もっとヒューマンドラマで彼女を見たいと思うのは僕だけなんだろうか。