ジイドの『狭き門』を読んだ。『"文学少女"と神に臨む作家』の影響で(ラブコメなんてレベルじゃない〜『"文学少女"と神に臨む作家』 - Sharpのアンシャープ日記)。
- 作者: アンドレ・ジイド,川口篤
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1967/01
- メディア: 文庫
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これは神の教えと自らの感情の齟齬が生んだ悲劇を描いた作品だ。ニーチェほどではないが、キリスト教の強いる不自然について疑問を投げかけている。
ジェロームを愛していながらも、信仰との関係でその感情を自分で認めることができないアリサ。そんな彼女が自分の内面を赤裸々に綴った日記から。
(前略)
私は理性に従って動こうと努めている。しかし、いざ実行するとなると、私を動かしていた道理は、どこかへ飛んでいってしまうか、でなければ、ばかばかしく思われて来て、もうそれを信用しなくなる……
道理が私にあの人を避けさせるのか? 私は、もうそんなものは信じない……。しかも、私はあの人を逃げている。悲しみの心を抱いて、なぜ逃げなければならないかも分からずに。
主よ! ジェロームと私と、手を携え、互に助け合って、主の御許へ進むことができますように。人生の旅を、二人の巡礼のように、一人が「疲れたら私におすがり」と言えば「君がそばにいてくれればそれでたくさん」と他が答えながら進むことができますように。いえ、いえ、主よ、あなたの示し給う路は、狭いのです。――二人並んで進むことができない程狭いのです。
(後略)
神の国に通じる「狭き門」は二人で通ることはできないとアリサは絶望する。結果、彼女はなくなってしまう。彼女の死後、この日記を読んだジェロームが感じたことはこの作品には描かれず、読者に委ねられている。しかし、壮絶なものであっただろうことは想像に難くない。
このような古典はもっと若いときに読んでおくべきだった。でも遅すぎるということはない。読まずに知ったかぶりするよりはずっといい。それはそうと、翻訳が相当古いのはなんとかならないものかと思う。