零はNowhere manか?〜『3月のライオン(3)』

待ちに待った『3月のライオン』の最新刊を読んだ。

3月のライオン 3 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 3 (ジェッツコミックス)

ヱヴァンゲリヲン・破』で碇シンジがポジティブになってしまったいま、桐山零こそネガティブ主人公の代表だと思う(あとがきで羽海野チカが自身の「ゲリオン的な何か」について語っていたのに頷いた)。

さて、本題。

将棋に真剣に向かい合っている零は強くもあるし、同時にとても脆くもある。放って置けばひとりでに崩壊しかねない零を、現実の世界に繋ぎ止めている人が何人もいる。言い換えれば、零は多くの人に愛されているのだ。たとえ風邪を引いたとしても、彼の世話をする人たちがいる。たとえ対局で敗れたとしても、彼を見守る人たちがいる。

零はそうした人の愛の存在に気付いているのだろうか。彼はそれを受け入れる覚悟があるのだろうか。彼は自分を愛してくれている人をきちんと見て、その人たちを愛するべきではないのか。それなのに彼は、どこを見ているのだろうか。自分を。あるいは、何かの幻を。

徹底して現実から目をそむけ
見たいものしか見ようとしない
行き場のない男 おまえには僕が見えてるのかい
("Nowhere Man"-The Beatles)

いや、零は本当は"Nowhere Man"なんかじゃない。零は誰よりも強く孤独を感じているように見えて、実は誰よりも孤独から遠い存在だから。そして、零は誰よりもからっぽの存在に見えて、実は誰よりも地に足が着いている存在だから。