グローバリズムの光と影〜「ポーランド発イギリス行き」

ポーランドからイギリスへの移民に関する特集番組がBSで放送された(文末に要旨を引用)。

このテーマは学生時代からずっと追っているので、現在の東欧の状況を知って胸が痛んだ。
EUの理念は、域内経済の効率化を進めることによって、全体として競争力を高めるというものだと理解している。これがグローバリズムの光だ。だが、実際には、同時に内部での格差は拡大している。これが影。

そして格差の拡大よりも問題だと思うのは、各国の持つ多様な文化が失われていくことだ。イギリスで職を得るために、ポーランド人が英語を学び、会計を学んで、国を捨てるとすれば、それはポーランドの文化の衰退を意味する。懐古趣味だという批判もあるかもしれないが、文化の多様性の喪失は惜しまれるべきだろう。

結局「幸福とは何か」について、私たちがきちんと定義し、それを共有しない限り、この議論には終わりは無い。そして「幸福とは人それぞれだ」というところで思考停止してしまうと、私たちは「望ましい経済政策」について議論することができない。

J・S・ミルが言ったように「最大多数の最大幸福」を望ましい状態と定義するのであれば、グローバリズムはおそらく望ましい状態ということになるのだろう。だが、そこで起きる格差の問題と、多様性の喪失について、私たちは正しく受け止めるとともに、再分配の仕組みや少数派の保護についても、真剣に考えるべきだと思う。

(以下、番組内容の引用)

● ポーランド発イギリス行き
〜EU拡大、増える出稼ぎ労働者〜

7/14(土)BS1 10:10-11:00「BSドキュメンタリー」

ポーランドから西へ、高速道路をひた走る国際長距離バス。
乗客は51人。
全員がより豊かな暮らしを求めてイギリスに向かうポーランド人です。
乗客の中に一組の夫婦がいました。
ポーランド北部の小さな町に暮らすこの二人も、より高い収入を得たいとイギリスに渡ります。家族を残してのイギリス行きです。
好景気に沸くイギリス。2004年のEU拡大以降、旧東欧諸国からの出稼ぎ労働者が急増しています。中でも多いのはポーランド人。3年間で100万人にのぼるといわれています。
しかし、イギリスに渡っても仕事に就けずホームレスになる人も少なくありません。「ポーランドに帰ろうにも2万円ほどの交通費が必要になります。でも今の私にはそんなお金はとてもありません」
貧しい国から豊かな国へ、今ヨーロッパでは経済格差が引き起こす労働者の急激な移動が起きています。イギリス行きのバスに乗り込んだポーランドの人びとを見つめました。

ポーランド北部バルト海。波に洗われるように港町コウォブジェクがあります(ドイツ国境)。
人口はおよそ5万。漁業と観光が主な産業です。
この小さな町が今揺れています。
ポーランドのほかの町と同様、ヨーロッパの豊かな国へ移り住む人が後を絶ちません。
街からは次第に活気が失われつつあります。
公営のアパートに暮らすクシシュストフさん夫妻も子ども二人を置いてイギリスに出稼ぎに行くことにしました。
夫42歳、クシシュトフ・デムチェックさん、27年間車の製造工場でエンジニアとして働いてきました。
妻のゴーシャ・ヘラクさんは大学院を出た後、学校の事務職に就き現在地元の小学校の総務部長を務めています。
1ヶ月の収入は2人合わせておよそ16万円。EU加盟以来物価の上昇が続くポーランドで親子4人がやっと暮らせる金額です。
「ポーランドでの暮らしぶりはひどいものです。二人でいくら一生懸命に働いても何とか暮らしていく程度のお金しか入ってこないのです。イギリスに行くのは多少のリスクもあるでしょうが、冒険をするしかないのです」
二人の子どもオレック君とナタリアちゃんは双子の兄弟、小学校4年生、2年後には中学校に進学します。子どもの教育にはできるだけのことをしてあげたい。それがイギリス行きの理由です。
「子どもたちが何かをしたいと言ったときにお金がないという状況にはしたくないのです」
ゴーシャさんの母親、クリスティーナさんが二人をあずかることにしました。
(クリスティーナさん)
「子どもたちが成長してくるとお金もかかるからイギリスに行くのはしかたがないでしょうねぇ。イギリスに行った人たちはみんな言い暮らしをしているというから、ゴーシャたちの生活もよくなるといいんだけどね」
夫婦で何度も話し合って決めたイギリス行き。しかし、最愛の子どもたちと離れ離れになることを考えると思いは複雑です。
二人はイギリスでこれまでのキャリアを生かした仕事に就きたいと考えています。
そこで翻訳事務所に証明書類の英訳を依頼しました。
夫が依頼したのは「大型自動車の運転免許」妻は「大学院の卒業証書」
ポーランドの通貨からイギリスポンドへの両替も済ませました。
これまでの蓄えおよそ40万円のうち子どもの為に半分を残し、残りの20万円をポンドに替えました。これがイギリスでの当面の生活費です。

ポーランド最後の日、親戚や同僚たちが集まって送別会を開いてくれました。
「ポーランド人も多いから安心だよな」
「週8万円稼ぐよ」
「どうやって」
「なんでもやるさ」
子どもたちのためにもイギリスで沢山稼ぎたい。ポーランドがEUに加盟したからこそめぐってきたチャンスです。
4/21、いよいよ出発の日。向こうで暮らしが安定し、ある程度貯金がたまるまで3年は戻らないという覚悟の旅立ちです。
ひとたびイギリスに渡ってしまうと行き来は簡単ではありません。子どもたちともいつ又会えるのか今は全く分かりません。
住み慣れた祖国を離れイギリス行きを決めた二人。もう後戻りは出来ません。

ポーランド各地からイギリスに向けて1日に10便の国際長距離バスが運行されています。連日ほぼ全ての便が満席です。
毎日およそ500人、職業も年齢も家族の事情も異なる様々な人が乗り合わせバスは故郷を後にします。「ここまできたらもうポーランドのことばかり考えているわけにはいきません。イギリスに渡ったら真っ先に仕事を見つけますよ、そして何とかやっていけるようにします」

2004/5ポーランドはEUに悲願の加盟を果たします。
人びとはEU圏内を自由に行き来し労働ビザなしで働くチャンスを得ました。しかし、このEU加盟がポーランドに思わぬ結果をもたらしました。
今ポーランドの各地で途中で投げ出されたままの工事現場が目に付きます。働き手が国外へ流出し、深刻な労働者不足が起きているのです。
ポーランドはEU諸国の中でも労働者の平均賃金が最低水準です。
イギリスなどと較べるとその差は4倍にもなります。
そのためより高い賃金を求めて出稼ぎに出る人が急増しているのです。
ポーランド国内では安い賃金の改善を求めてデモが頻発しています。
「若者は皆国を出て行った。ポーランドに未来はあるのか」
「奴隷たちよ、ノーと言え、今こそ立ち上がれ」
「我々の給料を盗むな」
EU加盟により他国との経済格差があらわになったポーランド。人材流出の深刻さに直面しています。

コウォブジェクを出てから15時間。クシシュトフさん、ゴーシャさんを乗せたバスはドーバー海峡を望むカレーの港に着きました。ここからイギリスに向けて海を渡ります。
カレーの待機所。
ブルガリアからのバス。
2007/1ブルガリアがEU加盟。早くもブルガリアから職を求めてイギリスに渡る人の流れが生まれています。
バスは夜明けとともにイギリスに入りました。
2人の目的地はロンドンからさらに500キロ英北部エジンバラです。
ポーランドを出て30時間以上、ようやくエジンバラに到着しました。

スコットランドの首都エジンバラ、人口50万のこの街にもポーランド人が増え続け3万5千人に達しました。
大きな街で仕事が多くロンドンに較べると物価が安い、夫妻はそうした評判を聞きこの街に来ることを決めたのです。

住まいはすぐに見つかりました。出稼ぎ労働者の多い地域のアパートで、台所とバストイレは共同、寝室一間で1週間2万円。
手持ちの現金が20万円しかない二人にはなかなかの出費。
一刻も早く仕事を見つけたいと辞書を片手に新聞や情報誌の求人欄を調べ始めた。

大型自動車の運転免許が有利に働くと踏んでいた。
しかし思いもよらない言葉を聞かされる。
「英語が出来ないのですか?それだと非常に難しいですね」
最近はポーランドからの出稼ぎが増えすぎたため、英語が出来ないとたちまちふるい落とされてしまうというのです。
しかし、気落ちしている時間はありません。ポーランド人の斡旋業者に次々と電話をかけます。
「はい、英語ですか?英語はあまり話せません。何か仕事があったら電話をください」
「どうする?もうあてがなくなっちゃったね」
「英語がこんなにも重要だったとは、全く思いもしませんでした」
「ポーランドでは仕事探しの助けになった資格もこちらでは英語が話せないと全く役に立たないのですから」
「英語が出来ていればとっくに仕事にありついていたはずです」
「こうなったら片っ端からあたるしかありません」

ポーランド人同士が仕事を奪い合う競争の激化。二人にとって思いがけない壁が現れました。

(ロンドン)
好調な経済の波に乗り建築ラッシュが続いています。
こうした建築現場が、東欧、とりわけポーランドから来た労働者の格好の働き場所となっています。
朝から夜中まで働けば賃金は月給にしておよそ30万円。本国で働いた場合の5倍にもなります。
ロンドンの西部にはポーランド人が集まるポーランド人街ができています。
ここではポーランドの食料品や日用雑貨などを手に入れることが出来ます。
店の壁には求人広告が貼られています。
ビルの清掃、建築作業、イギリス人が嫌がる過酷な労働条件の仕事が並んでいます。
出稼ぎに来たポーランド人の多くはこうした仕事を足がかりにするしかないのです。
一方、イギリスに来ても仕事を見つけることが出来ない人たちがいます。
ポーランド人が増え仕事の取り合いも激しくなっています。
国に帰ることもできず路上生活者となる人も少なくありません。
ロンドンにいるホームレスの実に3割がポーランド人という慈善団体の報告もあります。

ポーランド人ホームレス(35歳)の例。
ポーランド人街の空き家に不法にもぐりこんで暮らす。電気やガスはない。ベッドはゴミ置き場で拾う。ピザ配達の仕事をしていたが、2年後に不当に安い賃金の話を雇い主にもちかけ、代わりはいくらでもいると解雇された。
仕事を失い、気力もなくした彼が一つだけ手放さないのは携帯電話。これがポーランドとの唯一のつながりだから。毎週ポーランドの両親からメールが届く。しかし、彼は今の自分の境遇を正直に伝えることができないままだ。
「ここで何も成し遂げないままポーランドに帰るのは私にはとても耐えられないことです。なにか成功を収めてから帰るのが一番だということは分かっているのですが、私の場合はまだまだ長い道のりです」
いつかはポーランドに帰り両親に本当のことを伝えなくてはならない、しかし、今はそのすべもなくただ時をやりすごしています。

エジンバラ
夫妻が到着して3週間、二人は前のアパートを引き払いもっと家賃の安いアパートに引っ越しました。
仕事はまだ見つかっていません。
もってきた現金で食いつなぐ日々です。
物価の高いイギリスでは油断すると瞬く間にたくわえが減ってゆく。
きょうの買い物で3日分の食材に費やしたのは2000円ほど。
それでも二人にとっては大きな出費です。

インターネットカフェ)不安が募る中で仕事探しが続きます。就職斡旋業者を回り、インターネットでも手当たり次第職を探しました。

妻のゴーシャさんがインターネットでみつけたレストランから訪ねてくるようにと連絡を受ける。
料理が得意なゴーシャさんにとってレストランは願ってもない働き口です。
店長の面接に合格。ついにイギリスで始めての働き口を得ました。
ここでなら料理の腕を振るうことも出来そうだと喜んだのもつかの間。与えられた仕事は厨房での皿洗いと掃除でした。
給料は時給1300円。イギリスの法律で決められている最低賃金です。
ここで毎日朝10時から午後2時までの4時間働くことになりました。
店長) 彼女の履歴書を見て正直なところとてもビックリしました。大学院を卒業した人を厨房ではたらかせるのも確かにどうかとは思いますが、だけど英語が出来ないから仕方がないでしょう。仕事をしていく上では身振り手振りでやりとりしながらやるしかありません。

働き始めたゴーシャさん、分からないことがあってもなかなか尋ねることができません。
見かねてポーランド人の同僚が声をかけてくれました。

ここで1週間働いて2万6千円。なんとか家賃だけはまかなえる額です。
「夢に見ていたような仕事ではないけれど、今の自分の英語の力を考えればこういった仕事しかできないのはやむをえないと思います」
夫のクシシュトフさんは新聞でポーランド人のいる就職斡旋業者をみつけ訪ねる。
しかし、あいにくポーランド人のスタッフは不在。
代わりに対応してくれたのはイギリス人のマネージャー。
相手の言っていることが全く理解できません。(Are you looking for job? Job? )という調子。
結局どんな仕事をしたいのかさえ伝えることが出来ないまま、オフィスを後にすることになりました。

妻「仕事探しどうだったの」
夫「ああ、あれね、聞かないで、いつもの通りだよ、だめだったよ」

子どもたちから母の日に写真とカードが届く。
「子どもたちに会いたいですか?」
「それは勿論会いたいです。そうはいっても帰るわけには行きません。あの子達のためにもこちらでできることを精一杯やるだけです」

(コウォブジェク)
二人の子どもの暮らしも大きく変わりました。
家族4人で住んでいた家からおばあちゃんの家に移り住みました。
いままでお母さんが教えてくれた宿題もおばあちゃんがみてくれます。
「さびしがってはいますが、子の子達も母親がイギリスに行ったことを理解しているのだと思います」
子どもたちは両親から送られてきた絵葉書を宝物のように大切にしまっていました。

このころポーランドでは外国への人材流出が更に大きな社会問題になっていました。
医師や看護師など医療の現場でも人手不足が深刻化したのです。
ポーランドでは医師の月給はおよそ10万円。一方イギリスでは医師の平均給与はその10倍近くになります。
そうした高い給与を求めて、とりわけ麻酔科の医師がイギリスに渡るケースが相次いでいます。
麻酔科の医師の4分の一がいなくなってしまった地域も現れました。

「9千人もの麻酔科の医師が海外に出て行ってしまったと聞いています。実際に現場にいても数が減っていることは実感しています。麻酔科の医師が足りなくて手術が出来ないこともあるのですよ」
しわ寄せはポーランドにとどまる医師や看護士に及びます。一人ひとりへの負担が増し、長時間勤務を強いられることへの不満が爆発しました。
ついに5月末、全国の医師と看護師が無期限のストライキに突入。休診が続き市民生活へも大きな影響が出ました。

同じヨーロッパの中で格差のある限り解消されない人材の流出。
ポーランド政府は友好な手立てをうち出せずにいます。
単純労働者から専門技術者までポーランドからの労働力の流出は歯止めがかけられないまま今も続いています。

夫妻がエジンバラに来て1ヵ月半が経ちました。
夫は知り合ったポーランド人から草刈の仕事を紹介してもらいました。
イギリスに着いた当初は考えても見なかった仕事です。
1日5千円。十分な額ではありませんが、贅沢を言ってはいられません。
「こんな仕事だけれど、しばらくはこれでがんばります。でも早く安定した仕事を見つけたいですね」
クシシュトフさんは仕事をしながら英語を学びいずれはエンジニアとして働きたいと思っています。
2日間働いておよそ1万円を手にしました。
妻のゴーシャさんは別のレストランでも仕事を見つけました。
今働いているレストランと時間が重ならない朝6時から9時までの清掃の仕事です。
何とか時間をやりくりしわずかでも収入につなげようと考えています。

夢を描いていたイギリスでの暮らし。
しかし、見つかったのは二人がギリギリ暮らしていけるだけの仕事です。
子どもの教育のための貯金にはまだまだ時間がかかりそうです。
イギリスにやってきたことは今までの人生の中で一番大きな出来事だと思っています。大変だけれど後悔はしていませんよ。お金が溜まったらクリスマスには子どもたちを遊びに呼んでやりたいですね。
お金を貯めるためにも何とか乗り越えますよ。

この日ゴーシャさんは子どもたちにメッセージを送りました。(Eメール)
お父さんもお母さんも仕事を見つけてしっかりやっているよ。来週には仕送りするね。愛するお母さんより。

ポーランド。小さな町のターミナルからきょうもまた国際長距離バスが出発します。
イギリスに渡れば豊かになれる、人々の夢と願いを乗せてバスは走り続けます。