『ダ・ヴィンチ・コード』現象を嗤う

話題の映画『ダ・ヴィンチ・コード』が全世界で一斉に公開された。事前に予想された通り、カトリック団体や信者の一部が反発しており、中にはソニー製品の不買運動を展開しているところもあるようだ。

NHKのニュースでも「ローマ法王の発言に注目」などとしてトップに近い扱いで取り上げていたが、実際にはローマ法王が個別の映画に対して論評を行うはずもなく、「何も発言しなかった」というのが実際のところだ。

今回、マスコミはスキャンダルを求めて、「アンチ=ダ・ヴィンチ・コード」的な事象を取り上げようとするが、それはハリウッド映画の商業主義の片棒を担ぐに等しい行為だ。言い換えれば、単に映画の宣伝をしているのに等しい。

マグダラのマリアと結婚して子供を設けたという解釈を含めて、キリストを徹底的に人間臭く描いた映画としては、マーティン・スコセッシの『最後の誘惑』がある。また、カトリック教会の腐敗については『ゴッドファーザー3』でも描かれている。何も『ダヴィンチコード』が前人未踏のタブーに挑戦したわけではないのだ。

ダ・ヴィンチ・コード』は、宗教的な問題を提起しているわけでも、科学的な実証を行っているわけでもない。これはフィクションだからだ。もちろんエンタテインメントとしてはそこそこ面白く、商業的に成功を収めているが。しかし、ここまでな俗世にまみれた商業(ビジネス)に、ローマ法王が「否定的なコメント」など出すわけもなく、公開から一週間を経ずして騒ぎは収まるだろう。