君になりたい。

佐内正史の撮る写真は、力が抜けている。被写体に肉薄するということがないし、少し崩れた構図によって作為をあまり感じさせない。見た瞬間のインパクトは強くないのに、写真を見終えたあとに妙に長時間印象に残るのは、彼の撮る写真が日常の光景と近い雰囲気を持っているからだろう。

その佐内が雑誌『リラックス』に連載していた女性ポートレートを一冊にまとめた写真集『a girl like you 君になりたい。』が先月発売された。表紙が宮崎あおい、裏表紙が蒼井優ということで、この人選だけでも個人的には「即買い」のはずなのだが、値段がちょっと高かったのでためらっていた。が、一ヶ月間の熟考の末、結局買ってしまった。

a girl like you 君になりたい。

a girl like you 君になりたい。

ポートレートといっても、表紙からして、主役のはずの宮崎あおいは背景の八百屋のおばちゃんや買い物客のおばあちゃんとほぼ同じくらいの大きさにしか写っていない。ポートレートの王道をあえて外している。そして写真の調子も、ガールズフォトで人気の蜷川実花とは対極の「彩度の低さと階調の豊かさ」に象徴されるような淡いトーンで、スナップ写真と同じいつもの佐内節だ。

この写真集には40人のモデルが登場するが、特に印象に残るモデルを列挙すると、蒼井優宮崎あおい高橋マリ子上戸彩東野翠れん長澤まさみ麻生久美子(!)、太田莉菜、といったところ。

なかでも、ティーンエイジャーの連なる中、23歳(当時)で登場し、年齢相応の大人の女性の魅力とともに、清楚な少女性をも感じさせる麻生久美子は、やはりすごいと言わざるを得ない。

体のラインのほとんど出ないダボッとしたチャコールグレー地のチェック柄のシャツワンピースに、黒のショートソックス、そして紺のショートカットのコンバース。一歩間違うと野暮になりかねないこうした服装が、コドモとオトナの微妙な狭間を見事に演出している。

いずれにしても、佐内の撮った写真から見えてくるのは「モデル」というよりも「等身大の友達」だ。魅力を「引き出す」のではなく「切り取る」。ポートレートではなくスナップ写真に似ている。それゆえに被写体との距離がかえって近く感じる。こうしたところが佐内流のポートレートの成功している点だろう。だが、そこには被写体に対する「憧れ」や「情熱」や「欲望」といったものはほとんど感じられない。

表紙の帯に、小西康陽が次のような言葉を寄せている。

「この中の40人の女のコのBFの諸君、そして佐内正史さま。ぼくはきみになりたい、です」

なぜ小西かというと、「きみになりたい」とは、もともとはピチカートファイブのアルバム『女性上位時代』に収録されていたバラードの名曲だからで、この曲は憧れの女性*1と同一化したいという男性の欲望を歌っているものだ。が、小西がここで寄せた文章は、あえてその意味をずらしている。なぜならこの写真集は『君になりたい。』といいながらも、カメラを向ける被写体への「憧れ」も「同一化への欲望」もないからだ。女性をプロデュースすることにかけては抜群の才能を持つ小西がこの点を見落とすはずは無い。だから、小西は「君」を女性ではなく男性にして言葉を贈ったのだろう。

その小西がプロデュースしたコンピレーションアルバムで『きみになりたい。』という作品集があるが(実に紛らわしい!)、こちらは中谷美紀三浦理恵子宮村優子市川実和子など16人の女性を一曲ずつプロデュースしていて、どの女性と対峙しても最大限に魅力を引き出そうとしている小西の「愛あふれる魔法」が感じられる*2

きみになりたい。

きみになりたい。

これに比べれば、佐内の『君になりたい。』は、「君になりたい」と願う気持ちが弱過ぎる。少なくとも、このタイトルは内容とはマッチしていない。「君になりたい」と思う女性を撮るときの写真は、こんなもんじゃないよ、きっと。

*1:「男性」という説もあり。

*2:三浦理恵子の「日曜はダメよ」なんか彼女の声の魅力を最大限に引き出していて、CoCo時代を含めた彼女の曲の中でひときわマジカルだ